まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

今週の課題(レポート提出):易(えき)について

 今週の課題(レポート提出)は、易(えき)についてです。

要するに「占い」ですね・・街頭で易者さんに占ってもらったり、神社・お寺でおみくじを買うなどの類です。今まで私はこの手を信じることが出来ずにいました。

 そもそも日本思想史、主に「仏教」の授業に何で中国の易が関係あるのか?と思っていましたが、これから登場する「空海」は、中国語はペラペラで、初期仏教の教本が書かれたサンスクリット語にも堪能であったそうです。すごい・天才、空海さん( ◠‿◠ ) 

日本仏教を勉強するにあたり、中国のことを勉強するのは当然であると思えてきました。


 易とは「変化」を意味する中国の占いの方法で、陰、陽という相対的な2つの原理の結合交錯の変化によって宇宙の万象は形成、消長するとし、その変化の過程を占うものです。

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八卦 - Wikipedia


そのために、陰、陽を象徴する画(陰爻<こう>、陽爻)を3本ずつ組み合わせて8種の卦(か)を作り、さらにそれを2つずつ重ねた64種の卦にそれぞれ意味をもたせ、筮竹(ぜいちく)と算木(さんぎ)を用いて卦を求め判断を下す。爻と卦の意味(卦辞、爻辞)の解釈は次第に複雑化し、漢の時代には煩瑣(はんさ)な易学が成立して、思想、文化に広範な影響を及ぼした。日本には5世紀に伝わり、大宝律令では陰陽寮の官職が定められ、以後全国に広まり今日にいたっている。本来の筮法は複雑で長時間の緊張を要するため、今日では略筮法や中筮法が行われている。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典より転載


 易は「陰陽五行説」と関連付けられる。陰陽五行説は中国古代の宇宙観や世界観で、陰陽説と五行説が結合したものである。
陰陽説は宇宙の現象事物を陰と陽の働きによって説明する二元論。五行説は万物の根源を木火土金水の5元素におき、それらの関係、消長によって、宇宙は変化するという自然論的歴史観。天文、暦法、医学などに影響を与え、儒学とともに日本に入り大きな影響を与えた。

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家庭菜園🍆🥒🌱遅ればせながら🍅

去年は4月16日に植え付けましたが、今年は遅ればせになってしまいました。

記録によれば、6月6日にキュウリの一番果を収穫してますが、今年は遅れそうです。

ホームセンターに売られている苗も大分大きくなり、種類も数も少なくなっていました。

先ずは、キュウリ🥒を植えました。(夏すずみ、@68)

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大葉(青しそ、@68)を植えてみました。冷や奴で美味しいと思う。

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昨年植えても植えても、愛犬ももちゃんに苗を食べられた「なす(大長なす 庄屋、@68)」に再挑戦(^_^)

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どうなることやら・・・

すべて68円の苗、安い苗なので害虫には弱いかもしれない。(無農薬栽培)

wa14007.hatenablog.com

 

ユネスコ無形文化遺産 亀崎潮干祭の山車行事 亀崎潮干祭(海浜曳き下ろし)に行ってきた

 ゼミ巡検の一環で、ユネスコ無形文化遺産 亀崎潮干祭の山車行事 亀崎潮干祭(海浜曳き下ろし)に行ってきました。

 新聞記事によると、潮干祭は、神倭磐余彦命(カミヤマトイワレヒコノミコト)=神武天皇を祭神とする神前神社の祭礼です。

潮干祭 | 亀崎潮干祭

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 祭礼の名は、神武天皇が海からこの地に上陸したとの伝説にちなみ、五輌の山車(東組宮本車、石橋組青龍車、中切組力神車、田中組神楽車、西組花王車)を潮干の浜に曳き下ろしたことに由来しています。

 勇壮・華麗な五輌の山車は、浜から曳き上げられた後、神社から神輿(みこし)の渡御に供奉して、御旅所である尾張三社まで、巡行します。

津島・熱田・真清田の三神が鎮座
 そのむかし亀崎の海岸へ流れ着いた、とある御神符(神社などが発行するお札)。それは津島神社のものでした。けがしてはならない、と海に戻したものの2日後に再び漂着。文政6年(1823)6月、このなんとも不思議な出来事により、亀崎の里人はその地を埋め立てひとつの小さな社を営みました。そして75日間の昼夜、お神楽を奉納。それがこの神社の起源とされています。

そののち熱田神宮と真清田神社の御符をむかえて各小社を並べて祀り、現在のかたちに。今の社殿は慶応元年(1865)に建てられました。

津島神社素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「熱田神宮日本武尊(やまとたけるのみこと)」「真清田神社の天火明命(あめのほあかりのみこと)」。この三神を祭神とする尾張三社は、潮干祭における「御旅所(おたびしょ)」となっています。すなわち祭礼のとき、本社を出た神輿が仮にとどまるところ。人形技芸(からくり人形の舞)の奉納もあり5台の山車が比較的ゆったりと見られます。

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祭礼の伝統や風格は強固な「組」組織によって守られ、300年もの長きにわたり受け継がれています。

 山車は名工の手による精微な彫刻、豪華な幕類、螺鈿(らでん)や推朱(ついしゅ)・七宝焼きなどで飾られ、精巧なからくり人形の技芸も奉納されます。

 潮干祭の最大の見どころは「海浜曳き下ろし」です。山車が一気に海浜へと駆け下り、波打ち際で方向を変え、ゴマと呼ばれる車輪を波に洗われながら進むさまは、まさに「勇壮」の一言に尽きます。

中日新聞 「近郊版」 2018.4.28

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亀崎衣浦大橋のすぐ南、江戸時代は何と犬山藩の領地だったそうです。

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いよいよ皇太子さまが新天皇に即位されるまで、あと一年となりました。

 125代 今上(きんじょう) 天皇は1989年2月24日に即位され、早30年になります。

 来年2月24日に在位三十年記念式典が施行され、その際に新元号が公開されると新聞に載っていました。

 初期天皇の実在性については、15代応神天皇以降を実在確実とする説と26代継体天皇以降を実在確実とする説の2つがありますが、約2,600年間に渡って営々と続いてきた天皇家は凄いのひとこと。

  古事記日本書紀を調べていて気が付いたのですが、〇〇天皇の時代・・と表現されていることが多く、それは何時代なのか?分からないことが多々あります。

そういう時に便利なのが、「日本逆算年表」、何時代が分かるだけでなく、中国・朝鮮は何時代とか、何年前とかまで分かるので重宝しています。

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歴代天皇一覧

  代   名前(よみ)   即位年   備考

  1. 初代 神武天皇(じんむ) 前660年
  2. 2代 綏靖天皇(すいぜい) 前581年
  3. 3代 安寧天皇(あんねい) 前549年
  4. 4代 懿徳天皇(いとく) 前510年
  5. 5代 孝昭天皇(こうしょう) 前475年
  6. 6代 孝安天皇(こうあん) 前392年
  7. 7代 孝霊天皇(こうれい) 前290年
  8. 8代 孝元天皇(こうげん) 前214年
  9. 9代 開化天皇(かいか) 前158年
  10. 10代 崇神天皇(すじん) 前97年
  11. 11代 垂仁天皇(すいにん) 前29年
  12. 12代 景行天皇(けいこう) 71年
  13. 13代 成務天皇(せいむ) 131年
  14. 14代 仲哀天皇(ちゅうあい) 192年
  15. 15代 応神天皇(おうじん) 270年
  16. 16代 仁徳天皇(にんとく) 313年
  17. 17代 履中天皇(りちゅう) 400年
  18. 18代 反正天皇(はんぜい) 406年
  19. 19代 允恭天皇(いんぎょう) 412年
  20. 20代 安康天皇(あんこう) 453年
  21. 21代 雄略天皇(ゆうりゃく) 456年 ワカタケル大王
  22. 22代 清寧天皇(せいねい) 480年
  23. 23代 顯宗天皇(けんぞう) 485年
  24. 24代 仁賢天皇(にんけん) 488年
  25. 25代 武烈天皇(ぶれつ) 498年 日本書紀によると暴君であったと伝えられる
  26. 26代 継体天皇(けいたい) 507年
  27. 27代 安閑天皇(あんかん) 531年
  28. 28代 宣化天皇(せんか) 535年
  29. 29代 欽明天皇(きんめい 539年
  30. 30代 敏達天皇(びだつ) 572年
  31. 31代 用明天皇(ようめい) 585年
  32. 32代 崇峻天皇(すしゅん) 587年 蘇我馬子に暗殺される
  33. 33代 推古天皇(すいこ) 592年 崇峻天皇の妹。初の女性天皇聖徳太子摂政を務めた
  34. 34代 舒明天皇(じょめい) 629年 第一回遣唐使を派遣
  35. 35代 皇極天皇(こうぎょく) 642年
  36. 36代 孝徳天皇(こうとく) 645年
  37. 37代 斉明天皇(さいめい) 655年 重祚(35代・皇極天皇
  38. 38代 天智天皇(てんじ) 661年 中大兄皇子
  39. 39代 弘文天皇(こうぶん) 671年 天智天皇の子。またの名を大友皇子
  40. 40代 天武天皇(てんむ) 673年 大海人皇子
  41. 41代 持統天皇(じとう) 686年 天武天皇の皇后→持統天皇都を藤原京に遷都する。
  42. 42代 文武天皇(もんむ) 697年
  43. 43代 元明天皇(げんめい) 707年 都を平城京に遷都する。
  44. 44代 元正天皇(げんしょう) 715年
  45. 45代 聖武天皇(しょうむ) 724年 東大寺大仏を作る
  46. 46代 孝謙天皇(こうけん) 749年
  47. 47代 淳仁天皇(じゅんにん) 758年
  48. 48代 称徳天皇(しょうとく) 764年 重祚(46代・孝謙天皇
  49. 49代 光仁天皇(こうにん) 770年
  50. 50代 桓武天皇(かんむ) 781年 都を平安京に遷都する。
  51. 51代 平城天皇(へいぜい) 806年
  52. 52代 嵯峨天皇(さが) 809年
  53. 53代 淳和天皇(じゅんな) 823年
  54. 54代 仁明天皇(にんみょう) 833年
  55. 55代 文德天皇(もんとく) 850年
  56. 56代 清和天皇(せいわ) 858年
  57. 57代 陽成天皇(ようぜい) 876年
  58. 58代 光孝天皇(こうこう) 884年
  59. 59代 宇多天皇(うだ) 887年 猫好きで有名
  60. 60代 醍醐天皇(だいご) 897年
  61. 61代 朱雀天皇(すざく) 930年
  62. 62代 村上天皇(むらかみ) 946年
  63. 63代 冷泉天皇(れいぜい) 967年
  64. 64代 円融天皇(えんゆう) 969年
  65. 65代 花山天皇(かざん) 984年
  66. 66代 一条天皇(いちじょう) 986年
  67. 67代 三条天皇(さんじょう) 1011年
  68. 68代 後一条天皇(ごいちじょう) 1016年
  69. 69代 後朱雀天皇(ごすざく) 1036年
  70. 70代 後冷泉天皇(ごれいぜい) 1045年
  71. 71代 後三条天皇(ごさんじょう) 1068年
  72. 72代 白河天皇(しらかわ) 1072年
  73. 73代 堀河天皇(ほりかわ 1086年
  74. 74代 鳥羽天皇(とば) 1107年
  75. 75代 崇徳天皇(すとく) 1123年 保元の乱に敗れ讃岐に配流される。怨霊伝説
  76. 76代 近衛天皇(このえ) 1141年 3歳で即位、17歳で崩御
  77. 77代 後白河天皇(ごしらかわ) 1155年
  78. 78代 二条天皇(にじょう) 1158年
  79. 79代 六条天皇(ろくじょう) 1165年 歴代最年少即位(生後7ヶ月)
  80. 80代 高倉天皇(たかくら) 1168年
  81. 81代 安徳天皇(あんとく 1180年 平清盛の外孫。壇ノ浦の戦いにて入水し崩御歴代天皇最年少で崩御(8歳)※1183年~1185年まで後鳥羽天皇と在位重複
  82. 82代 後鳥羽天皇(ごとば) 1183年 承久の乱後、隠岐に配流される。※1183年~1185年まで安徳天皇と在位重複
  83. 83代 土御門天皇(つちみかど) 1198年 承久の乱後、土佐に配流される。
  84. 84代 順徳天皇(じゅんとく) 1210年 承久の乱後、佐渡に配流される。
  85. 85代 仲恭天皇(ちゅうきょう) 1221年 満2歳6か月で即位。在位期間歴代最短(78日間)
  86. 86代 後堀河天皇(ごほりかわ) 1221年
  87. 87代 四条天皇(しじょう) 1232年 満1歳8か月で即位。
  88. 88代 後嵯峨天皇(ごさが) 1242年
  89. 89代 後深草天皇(ごふかくさ) 1246年
  90. 90代 亀山天皇(かめやま) 1259年
  91. 91代 後宇多天皇(ごうだ) 1274年
  92. 92代 伏見天皇(ふしみ) 1287年
  93. 93代 後伏見天皇(ごふしみ) 1298年
  94. 94代 後二条天皇(ごにじょう) 1301年
  95. 95代 花園天皇(はなぞの) 1308年
  96. 96代(南朝初代) 後醍醐天皇(ごだいご) 1318年 ・鎌倉幕府によって隠岐に島流しされた・建武の新政を行った・吉野で朝廷を開いた(南北朝時代の始まり)
  97. 97代(南朝2代) 後村上天皇(ごむらかみ) 1339年
  98. 98代(南朝3代) 長慶天皇(ちょうけい) 1368年
  99. 99代(南朝4代) 後亀山天皇(ごかめやま) 1383年 (北朝初代) 光厳天皇(こうごん) 1331年 (北朝2代) 光明天皇(こうみょう) 1336年 (北朝3代) 崇光天皇(すこう) 1348年 (北朝4代) 後光厳天皇(ごこうごん) 1352年 (北朝5代) 後円融天皇(ごえんゆう) 1371年
  100. 100代(北朝6代) 後小松天皇(ごこまつ) 1382年
  101. 101代 称光天皇(しょうこう) 1412年
  102. 102代 後花園天皇(ごはなぞの) 1428年
  103. 103代 後土御門天皇(ごつちみかど) 1464年
  104. 104代 後柏原天皇(ごかしわばら) 1500年
  105. 105代 後奈良天皇(ごなら) 1526年
  106. 106代 正親町天皇(おおぎまち) 1557年
  107. 107代 後陽成天皇(ごようぜい) 1586年
  108. 108代 後水尾天皇(ごみずのお) 1611年 徳川秀忠の子である和子が入内した
  109. 109代 明正天皇(めいしょう) 1629年 徳川秀忠の外孫
  110. 110代 後光明天皇(ごこうみょう) 1643年
  111. 111代 後西天皇(ごさい) 1654年
  112. 112代 霊元天皇(れいげん) 1663年
  113. 113代 東山天皇(ひがしやま) 1687年
  114. 114代 中御門天皇(なかみかど) 1709年
  115. 115代 桜町天皇(さくらまち) 1735年
  116. 116代 桃園天皇(ももぞの) 1747年
  117. 117代 後桜町天皇(ごさくらまち) 1762年
  118. 118代 後桃園天皇(ごももぞの) 1770年
  119. 119代 光格天皇(こうかく) 1779年 生前退位をした(1817年5月7日)
  120. 120代 仁孝天皇(にんこう) 1817年
  121. 121代 孝明天皇(こうめい) 1846年 天然痘が原因で35歳で逝去他殺説もあり。
  122. 122代 明治天皇(めいじ) 1867年
  123. 123代 大正天皇(たいしょう) 1912年
  124. 124代 昭和天皇(しょうわ) 1926年
  125. 125代 今上天皇(きんじょう) 1989年
  • ※赤字は女帝です。
  • 初期天皇の実在性については、15代応神天皇以降を実在確実とする説と26代継体天皇以降を実在確実とする説の2つがあります。

歴代天皇一覧 - 日本史資料室

「古事記・日本書紀」小テストの顛末( ◠‿◠ )

 大型連休突入ですね・・もっとも毎日がほぼ日曜日なので、特別な感動・実感がない・・

 「古事記日本書紀」小テストの顛末ですが、実は、授業時間内のテストは時間がもったいないと「いきなり、中止」になりました。

「日本の神話について」講義内容を踏まえ、500字以上でレポート提出】と相成りました。来週水曜(5月2日)提出なのでまだまだ推敲の余地はありますが、思い切ってアップしておきます。

日本の神話について

 縄文時代は一万年以上続いた。その様子は遺跡や貝塚を通じてでしか知ることができないが、世界四大文明に匹敵する文明を有したという説もある。人々は太陽や月、山や川など自然を崇拝し、神道の基礎が芽生えていった。縄文土器が割られて埋められている謎も、実は、先に逝った愛する人土偶にして家に祀り、時期が来たら割って捨てる。これは「生まれ変わり」を切に願う縄文時代の人々の願いであり、後の輪廻転生りんねてんせい)に繋がる。我国は異なる宗教 (神道と仏教) が見事に融和した稀な国であるが、ここら辺にその源流がみてとれる。
 弥生時代に入り、米作りが始まると人々は定住し、小さなクニが各地にでき始めた。魏志倭人伝に紹介された邪馬台国卑弥呼はこの時代の話である。
 古墳時代に入ると、ヤマト王権の国内統一が進んだ。七世紀末、第四十代 天武天皇が、口頭で語り継がれている神話を古事記日本書紀(以下、記紀と記述)として編纂した。記紀は「この世界はどうやって出来たのか?」「天皇が神に認められた存在」であり、国を治める理由や経緯が記述された天皇家の歴史書(系譜図)である。したがって天皇家と関係のない邪馬台国卑弥呼記紀に登場しない。
 ヤマト王権は、クマソと隼人(共に南九州に住んでいた部族)の東征によって出雲勢が支配する邪馬台国畿内)を打ち破り樹立した王権であると仮定すれば、記紀の神話が繋がる。たとえば、天孫降臨の場所が高千穂(宮崎)または霧島(鹿児島)である理由になる。自分たちの出身地は南九州であるが、記紀に記すには平凡すぎるし権威もないので、縄文時代から営々と伝わるエピソードを自分たちの都合の良い神話とし、以前の歴史すなわち偉大な縄文文化を消し去ってしまったのだと思う。歴史書は勝者によって書かれる。

 

日本神話のスーパースター 日本武尊ヤマトタケルノミコトf:id:wa14007:20180428181024j:plain

熱田神宮参道にて撮影しました。

 

wa14007.hatenablog.com

 

料理のコツが分かってきたみたい(*_*)(^^♪です。パスタ・コールスローサラダ・ポテトサラダ

 blogにあげるほどのトピックではないかもしれませんが、私にとってはとてもビッグな出来事なのです。

スマホで見つかるレシピが優秀なんですが、レシピの通り作ると、まぁ、美味しくできるようになりました。加えて今回のパスタ・コールスローサラダ・ポテトサラダは、冷蔵庫の在庫に少し買い足して作りました。

「料理のコツが分かってきたみたい」と書くと大変、僭越なんですが「やっと少し」分かってきたようです。

美味しい料理を作るには、

  • 誰か(家族etc)にこの料理を食べてもらい、喜ぶ顔が見たい!健康になって欲しい!(食事はおくすりです。)

と思う以外に動機はないと思っていました。

 しかしながら、これは叶わぬことだし、毎日のことなので自分が美味しいと思える料理を食べたい!という一種の悟りの心境(はぁ?)に近づいたのかなぁ・・と思ったりしています。

 

パスタ

 パスタは焼きそば同様、好物です。いつもは乾燥麺を7~9分間茹でて、インスタントのソースをかけて出来上がり!状態でしたが、今回、生パスタを茹でることから始まり、ソースもインスタントではなく、トマトジュースとコンソメで作る本格派に挑戦しました。

美味い(:_;)と絶賛レベルではありません。少しほろ苦い仕上がりでしたが、初めてにしては、上出来!上出来!食べれないことはなかったです。

コンソメを研究しなくっちゃ・・・(*_*)

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コールスローサラダ

 吉野家で牛丼と一緒にいただくコールスローサラダは美味しかったです。切り刻んだキャベツがあったのでコールスローサラダに挑戦しました。

大成功でとても美味しかったですよ( ^)o(^ )

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ポテトサラダ

 実は昔から「ポテトサラダ大好き人間」です。新じゃがが売り出されているので挑戦してみました。こちらも大成功で美味しい!美味しい ^^) _旦~~

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明後日(4月25日)「古事記・日本書紀」の小テストがあります。邪馬台国や卑弥呼が古事記・日本書紀では登場しない、これは何故だろう・・?

 シニア大学の授業がほぼ「ゼミ」のみになったので、前から念願だった「聴講生」になりました。受講科目は、まずは小手調べで「日本思想史」(歴史地理学科)

4月から7月の4ケ月間で15コマ(1コマ=90分の授業)受講します。

 聴講生は、1科目10名程度、「日本思想史」は人気科目で、競争率3倍、つまり、30名応募、20名は落選という狭き門でしたが、何とか滑り込むことができました。

 さて、ガイダンスが終わり、1回目の授業がありました。この科目は、毎回小テストがあるシラバス(授業計画書)に書いてありました。にも拘らず人気科目というのは何故かな?1回目の授業=日本神話の思想:半分くらいは難しくてついていけてないけど、半分くらいは何んとか分かる・・だんだん面白くなる予感がしています。

古事記日本書紀

古事と日本書を併せて「記紀」と言います。

古事記推古天皇(6世紀)の統治した時代までの神話重視で物語性が強い日本最古の歴史書です。一方、日本書記は持統天皇(41代)までのことが書かれた国外向けの正史で、漢文表記になっています。

 邪馬台国卑弥呼

 古事記日本書紀を調べていて不思議に思ったことがあります。

歴史で普通に習う邪馬台国卑弥呼古事記日本書紀では登場しない、これは何故だろう・・?

日本書紀の編纂者たちは編纂の過程で「魏志倭人伝」を精査したであろうが、ある事情で卑弥呼を登場させず、その代わり神功皇后(AD201-269)を登場させている。

邪馬台国はどこにあったか?

邪馬台国の場所は「魏志倭人伝」によると、

(前略)不弥国、南、投馬国に至る水行二十日、(中略)邪馬台国に至る。女王の都する所、水行十日、陸行一月 とあります。

つまり

不弥国➡(南、水行二十日)➡投馬国(南、水行十日、陸行一月)➡邪馬台国

不弥国は九州北東部にあったことは間違いなさそうなので、この記述通りだと、さしずめ豊後水道を南下し、九州の南方遥か彼方に邪馬台国はあったことになる。

どうも二度出てくる「南」という方角が「東」の間違いのようである。

瀬戸内海ルートが一般的に考えられるが、古代船だと潮流や渦潮などの関係で瀬戸内海の航海は無理で、東流する対馬海流を使えば沿岸を容易に東に移動可能である。

この前提により、投馬国とは出雲の辺りであり、それからさらに水行十日というのは、丹後あたりである。ここで上陸し陸路を1ケ月かけて到着したのが、邪馬台国(ヤマトの国・奈良県)という説に大いに納得しました。

出書:「出雲と大和」村井康彦著、岩波新書

 

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スマホ版📱では、記事が途中までしか表示されない!

パソコン💻版では、記事の後半で広告がダブって表示されてしまう

無料版なので、それなりの制約は覚悟しています。なかなか原因が分からないため、サポートに問い合わせいたしました。

回答のメールを転載📩しました。

迅速、丁寧なお返事に感謝です。

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**該当の記事**

wa14007.hatenablog.com

 

作り直した記事

wa14007.hatenablog.com

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はてなサポート窓口の〇〇と申します。
いつもはてなをご利用いただきありがとうございます。

はてなブログにて問題が発生するとのお問い合わせをいただきましたが、ご連絡いただいた記事の文章を確認いたしましたところ、HTMLによる文字装飾や表示方法の指定が記載されている状況となっておりました。

この影響により、ご連絡いただいた問題が発生している状況であると見受けられまが、Wordなどの文章作成ソフトで作成した(もしくはその他の場所に記載した)文章をコピーして、ブログの編集画面へとそのまま貼り付けて掲載していらっしゃいませんでしょうか。

また、ご連絡いただいておりますように、ご連絡いただいた記事のURLの場合に発生しており、
http://wa14007.hatenablog.com/entry/2018/03/29/101532

以下のような過去の記事では発生していないことから、「当該記事の内容」に問題がある可能性がございます。
http://wa14007.hatenablog.com/entry/2018/03/27/000000

文章作成ソフトなどの文字をコピーした場合、書体やサイズなどといった文字装飾や、文章の表示方法に関する情報も一緒にコピーされております。
はてなブログでこのような文章を貼り付けますと、コピー元の情報のまま貼り付けられて、細かい装飾の指定や、段落表示が記事に保存される場合がございます。
パソコンから該当記事の編集画面で「HTML編集」を開いていただきますと、同じ文字装飾が繰り返し記載されてしまっている状況がご確認いただけるかと存じます。

他の場所から文章をコピーして貼り付ける場合、メモ帳などに一度文章を貼り付けていただき、文字装飾がない文章(プレーンテキスト)をコピーしなおして貼り付けてください。
プレーンテキストを貼り付けた後に、編集画面上で文字装飾を指定していただけますと幸いです。

パソコンから操作する場合、文章の貼り付けを行われる際に以下のショートカットを利用すると、プレーンテキストで貼り付けることができますのでお試しください。

Windowsの場合 : Ctrl + Shift + V
Macの場合 : Command + Option + Shift + V

すでに投稿している記事を修正なさりたいという場合には、該当記事の編集画面を開き、全ての文章を選択して切り取り(カット)を行ってください。
切り取った文章をプレーンテキストで貼り付けて、記事を保存し直していただけますと幸いです。

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HTML

ハイパーテキストマークアップ・ランゲージ
HTML(エイチティーエムエル、HyperText Markup Language)は、ウェブページを作成するために開発された言語です。 現在、インターネット上で公開されてるウェブページのほとんどは、HTMLで作成されています。
HyperText Markup Languageを日本語で表すなら、「ハイパーテキストに目印をつける言語」くらいの意味になります。 ハイパーテキスト(HyperText)とは、ハイパーリンクを埋め込むことができる高機能なテキストです。 ハイパーリンクというのは、ウェブページで下線の付いたテキストなどをクリックすると別ページへ移動する、あのリンクのことです。

プレーンテキスト

プレーンテキスト形式とは、コンピュータ向けのコードなどを含まず、人間が読むことのできる文字のみで構成されたデータのこと。ある文字コードで文字として規定される範囲のデータのみを含む。

 

赤木城跡🏯🏯三重県熊野市の旅②🏯🏯

   赤木城は1588年~頃に付近の北山一揆を取締るために、豊臣秀長の家臣であった藤堂高虎が築城したものです。城跡は天正期の遺構をきわめて良好な姿で残しており、近代城郭を原型を示しています。藤堂高虎は築城の名手とうたわれており、築城当時の原形を残した城跡は全国でもまれで、大変貴重とされています。赤木城跡の主郭には桜があり、花見の名所として知られ、また、朝もやに浮かぶ城壁は天空の城と呼ばれています。(熊野市観光公社HPより転載)

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ここまで満開ではないけど、桜が綺麗だった。(熊野市観光公社HPより転載)

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朝もやに浮かぶ城壁は天空の城(熊野市観光公社HPより転載)

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お城の配置図を「縄張図」というそうです。赤木城跡は比較的コンパクトで駐車場のすぐ上が城跡というのが山歩きの苦手な私には有難かった(^_-)-☆

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春爛漫🌸🌸各地の桜🌸🌸

 3月23日に開花宣言された桜の記事をアップしましたが、あっという間に満開になり、すでに葉桜になっているところもあります。例年よりずいぶん早いです。

例年だと今週末(小学校の入学式が行われる)あたりが満開なのだが、2月は激寒だったけど3月になって暖かい日が多かったからだな(-_-;)

落合公園の桜(360°パノラマ)

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家の前の桜、今が盛り(そろそろ散り始め・・)

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東谷山フルーツパーク名古屋市守山区)の枝垂れサクラ

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ついこの前までは梅が満開だったけど、枝垂れサクラにとって代わりました。

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ピンクや白い見事な枝垂れサクラ

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4月7日(土)からシダレザクラまつりが開催されますが、今年は既に満開になってしまっています。シダレザクラは長持ちするみたいなので、週末まで大丈夫かな?

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wa14007.hatenablog.com

 

 

 

 

先週の記事で表示不具合が発生しています。スマホ版とパソコン版では別々の表示設定なので不具合内容が異なります。

 先週の記事で表示不具合が発生しています。スマホ版とパソコン版では別々の表示設定なので不具合内容が異なります。

広告が影響している可能性があるため、広告非表示にしてみましたが、無関係。

400位の記事がありますが、他は大丈夫です。サポートに問い合わせ中です。

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スマホ版📱

 実は、赤木城の写真の下に①スマホ Google Map 画面 と②過去記事へのリンクがありますが、広告が表示されてしまい、①②が表示されません。

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パソコン版💻

 実は、赤木城の写真の下に①スマホ Google Map 画面 と②過去記事へのリンクがあります。パソコン版ではこれらは表示されますが、広告が重なって表示されています。

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神社とお寺の違い:花の窟(いわや)神社⛩🌅三重県熊野市の旅①⛩🌅

 ずーっと疑問に思っていること、「神社とお寺の違い」

別に難しく考えなければ大した問題ではないのですが、こだわりが好きな私としましては相変わらず追及しています。

 二回目の熊野訪問、熊野古道センター(三重県尾鷲市)⇒丸山千枚田(以下、三重県熊野市)⇒赤木城跡(天空の山城)⇒花の窟(いわや)神社を旅しました。

三重は隣県ではありますが、松阪、伊勢、四日市とかのイメージが強く、和歌山・奈良県沿いの尾鷲とか熊野は遠い存在でした。たまたま、NEXCO中日本三重県内高速乗り放題二日間 ¥4,600.という記事をネットで見つけて、熊野とかに足を伸ばそうという気になりました。

 

hayatabi.c-nexco.co.jp

熊野地方は今回で二回目ですが、さすが世界遺産になるだけの地域、奥が深く何回か通おうと思います。ただ、割引プランが3/31で終了なので困ったなぁ・・

 

神々が眠る日本最古の地・花の窟(いわや)
花の窟は、神々の母である伊弉冊尊イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵です。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されました。
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者がお越しになります。花の窟では年2回、例大祭を行います。神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この「御綱掛け神事」は、太古の昔から行われており「三重県無形文化指定」されています。

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花の窟・花窟神社【はなのいわや】 世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』 >> 世界遺産 花の窟 より転載

 

参道にはインスタ映えしそうな旗がありました🚩

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お稲荷さんもあります。

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 七里御浜(しちりみはま)浜街道

熊野市から紀宝町まで約22キロ続く日本で一番長い砂礫海岸で、熊野に巡る巡礼者が旅した浜街道として世界遺産に登録されています。アカウミガメが上陸する地としても知られています。 KUMANO CITY GUIDE MAP より転載

七里御浜をiPhoneのパノラマ撮影で写してみた。

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 熊野灘の海です。

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今年初めての御朱印です。

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今回、神社の原風景に触れたこと、そして、前回に感じた、神道伊勢神宮)、修験道熊野三山(自然崇拝)、密教高野山)の三大聖地を結ぶ「熊野古道」への興味は尽きないです。

熊野は凄いところだ・・・☺

 

場所はこんな感じ(^_^)

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<表示不具合あり>赤木城跡🏯🏯三重県熊野市の旅②🏯🏯

  赤木城は1588年~頃に付近の北山一揆を取締るために、豊臣秀長の家臣であった藤堂高虎が築城したものです。城跡は天正期の遺構をきわめて良好な姿で残しており、近代城郭を原型を示しています。藤堂高虎は築城の名手とうたわれており、築城当時の原形を残した城跡は全国でもまれで、大変貴重とされています。赤木城跡の主郭には桜があり、花見の名所として知られ、また、朝もやに浮かぶ城壁は天空の城と呼ばれています。(熊野市観光公社HPより転載)

iPhoneでパノラマ撮影。どうもうまくいかない。

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ここまで満開ではないけど、桜が綺麗だった。(熊野市観光公社HPより転載)

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朝もやに浮かぶ城壁は天空の城(熊野市観光公社HPより転載)

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お城の配置図を「縄張図」というそうです。赤木城跡は比較的コンパクトで駐車場のすぐ上が城跡というのが山歩きの苦手な私には有難かった(^_-)-☆

赤木城 縄張り に対する画像結果
 
駐車場横のWCにおいてあるパンフレットの表紙

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丸山千枚田🗾🗾三重県熊野市の旅③

 今はシーズンオフの丸山千枚田。一部には水がはられてましたが、これから本格的な田植えのシーズンになり賑あうことでしょう!

 丸山千枚田は、三重県熊野市紀和町丸山地区の斜面に幾重にも描かれた棚田で、日本の棚田百選にも選ばれています。 
  この棚田がいつ頃造成されたかは不明ですが、西暦1601年(慶長6年)にはすでに2.240枚の田があったという記録があります。しかしながら、昭和40年代半ばから始まった稲作転換対策による杉の植林や昭和50年代以降の過疎・高齢化による耕作放棄地の増加によって、平成初期には530枚までに減少してしまいました。
 地元住民たちは、「自分達の代でこの貴重な文化遺産を無くすわけにはいかない。素晴らしい景観と農耕文化を後世に残し伝えていかなければならない。」と立ち上がり、平成5年に丸山地区住民全員による丸山千枚田保存会を結成し、丸山千枚田の復元と保全活動が始まりました。
 保存会結成後4年間で810枚の田の復元に成功し、1,340枚という日本でも最大規模の枚数を誇る棚田となりました。1枚あたりの平均面積が約10坪と大変小さい田圃ばかりですので、機械には頼らずほとんどが昔ながらの手作業で守られています。
「わたくしたちは、ここに先人の英知と偉業を偲びこれを称えるとともに、千枚田に親しみ、愛しつつその保護に一層努力することを宣言し、この条例を制定する。」(熊野市丸山千枚田条例から一部抜粋)
熊野市では、丸山千枚田を後世に残すために平成6年に全国初の千枚田条例が制定されており、全市民が一体となってその保護に努めています。

熊野市ふるさと振興公社:丸山千枚田HPより転載

www.kumano-furusato.com

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場所はこんな感じ(^_^)

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新聞で当地(愛知)の桜の開花予想がありました。ここ二・三日の寒さで桜は吹っ飛んでいましたが、家の前の桜をよく見ると開花しているのがありました。🌸🌸

 新聞で当地(愛知)の桜の開花予想がありました。ここ二・三日の寒さで桜は吹っ飛んでいましたが、家の前の桜をよく見ると開花しているのがありました。

週末から来週にかけて暖かくなるみたいなので、満開は時間の問題・・楽しみです。🌸🌸

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河津桜が満開になりました。(春日井市都市緑化公園)

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コブシもボツボツです。(春日井市都市緑化公園)

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