まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

日本三大仏 岐阜大仏殿 黄檗宗(おうばくしゅう)金鳳山(きんぽうざん)正法寺(しょうぼうじ)

 岐阜市正法寺にある大仏は、1832年に完成した釈迦如来坐像です。
像の高さは13.63m。
他の大仏と異なるのは、岐阜の大仏は骨格は木材、外部は竹と粘土、その上に漆を塗り金箔を貼った乾漆仏であること。
岐阜の大仏は乾漆仏としては日本一の大きさで、そのことから岐阜の大仏を日本三大大仏の一つに推す意見があるようです。
なお、岐阜の大仏は高岡の大仏と同様、日本三大大仏の一つであることを自称しているようです。ちなみに、日本三大大仏を名乗っているのは以下の9ヵ所、奈良・鎌倉は異存ないとして残り一枠が接戦ですね

  1. 日本三大大仏1 奈良の大仏東大寺
  2. 日本三大大仏2 鎌倉の大仏(高徳院
  3. 日本三大大仏3 高岡の大仏(大佛寺)
  4. 日本三大大仏4 岐阜の大仏(正法寺
  5. 日本三大大仏5 兵庫の大仏(能福寺
  6. 日本三大大仏6 日本寺大仏
  7. 日本三大大仏7 牛久大仏
  8. 日本三大大仏8 東京大仏乗蓮寺
  9. 日本三大大仏9 赤田の大仏(長谷寺秋田県

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  なんとも柔和な表情の釈迦如来さま、ホッコリ、落ち着きます。

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  横顔もカッコイイ!

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  日本三大仏の一つに数えられるこの大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇ります。
 天保3年4月(1832年)に、実に38年の歳月を費やして完成しました。
  堂の高さ25.15m、廻り19.39m、仏像は坐像で、高さ13.7m、耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m。大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いたものです。胎内には薬師如来がまつられています。
 私たちに微笑みかけられているようなそのやさしい表情と荘厳さ、そして静寂な大仏殿の中はまさに癒しの空間です。

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ご朱印

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  場所はここ、千畳敷遺跡(信長居館跡)、ぎふ金華山ロープウエイ、岐阜城など観光地が目白押しの一角にあります。

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  実は今年のお正月、黄檗宗総本山 宇治の萬福寺さんにお詣りしました。都七福神めぐりです。

wa14007.hatenablog.com

  大仏No1の奈良の大仏さんにも行ってきました。

wa14007.hatenablog.com

 

冷し中華 具沢山比べ

  暑い真夏のお昼ご飯は何と言っても「冷し中華

家で作るのは結構面倒ですが、具をいろいろ工夫してみました。

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本日の作品🥗具沢山な豪華冷しラーメン、味もまあまあ🙆‍♂️

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前回の作品🥗🥗見た目はこちらが一番💁‍♀️💁‍♂️

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前々回の作品🥗🥗🥗レタス🥬を添えてみました。
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初回の作品🥗🥗🥗🥗お皿が主役になってしまいました。お皿って大事🍝🍜🍲です。
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お店で食べると、490円します。麺を茹でた後に冷やす一手間がかかる。学食の冷し中華はいつのまにかメニューから消えていました。

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お店で食べた冷し中華、何か盛り付けが雑、忙しかったみたいでした。
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アジの南蛮漬け

 季節は正直で、お盆を過ぎたら朝方は夏蒲団が必要な涼しさになりました。

 なかなか売っていなかった小あじを発見、小あじは下準備が大変ですが、から揚げ用に調理してくれています。早速ゲットしました。

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☟のレシピをすでに見付けてありました。☟

www.kikkoman.co.jp

材 料(2人分)
 ・あじ(豆あじ・8尾) 300g
 ・玉ねぎ  1/2個
 ・ピーマン 1個
 ・小麦粉  適量
 ・揚げ油  適量

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  1.  あじは加工済なので、水洗いして水気をふき、身の厚いところに斜めに切り込みを入れる。
  2. 玉ねぎは薄切り、ピーマンは細切りにする。・・写真/左下(赤いボール)

(A)・・写真/右下(白いボール)
 ・酢  1/2カップ
 ・砂糖 大さじ2
 ・キッコーマン特選丸大豆しょうゆ 大さじ1
 ・塩 小さじ2/3
 ・水 1/4カップ
 ・赤唐辛子(小口切り) 1本

   3.(A)を合わせてバットに入れ、2.を入れる。
   ・・写真/上(白いボール)

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   4. (1)の水気をふき、小麦粉を薄くまぶし、170℃の揚げ油で10分揚げ、油をきって(3)に漬ける。しばらくおいて味をなじませる。

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油の温度を、180℃に設定。

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 カラッと揚がりました。幾分、焦げ気味😁😆

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タッパー二箱に入れました。一晩、冷蔵庫に入れました。

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朝食に味見してみました。見かけはイマイチですが、(A)がアジに染み込んで食欲をそそります。

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おまけ) 先日作ったイワシの南蛮漬け、こちらも美味しかった💁‍♀️💁‍♂️

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ついでに、ナス、ピーマン、タマネギの天ぷらを作ってみました。

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歴代天皇の一覧

歴 代 天 皇 一 覧

※赤字は女帝です。在位年数は計算が違うかも?(古代は1年で2才年をとる暦もあったようです。)
https://origamijapan.net/origami/2018/02/07/tennou-list/

  スマホで一応、記事に合うような写真、図を探してアップしました。万が一、著作権に関する問題がありそうな場合、コメント欄から連絡お願いします。


代   名前(よみ) 即位年
上古(縄文・弥生・古墳)に
1.神武(じんむ)天皇 前660年(在位 79年)

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2.綏靖(すいぜい)天皇 前581年(在位 32年)
3.安寧(あんねい)天皇 前549年(在位 39年)
4.懿徳(いとく)天皇  前510年(在位 35年)
5.孝昭(こうしょう)天皇 前475年(在位 83年)
6.孝安(こうあん)天皇 前392年(在位 102年)
7.孝霊(こうれい)天皇 前290年(在位 101年)
8.孝元(こうげん)天皇 前214年(在位 76年)
9.開化(かいか)天皇 前157年(在位57年)
10.崇神(すじん)天皇 前97年(在位 68 年)
11.垂仁(すいにん)天皇 前29年(在位 100年)
12.景行(けいこう)天皇 71年(在位 60年)
13.成務(せいむ)天皇 131年(在位 60年)
14.仲哀(ちゅうあい)天皇 192年(在位 61年)
  (神功皇后
15.応神(おうじん)天皇 270年(在位 78年)
16.仁徳(にんとく)天皇 313年(在位 43年)
17.履中(りちゅう)天皇 400年(在位 87年)
18.反正(はんぜい)天皇 406年(在位 6年)
19.允恭(いんぎょう)天皇 412年(在位 6年)
20.安康あんこう天皇 454年(在位 42年)
21.雄略(ゆうりゃく)天皇 456年(在位 2年)
22.清寧(せいねい)天皇 480年(在位 24年)
23.顯宗(けんぞう)天皇 485年(在位 5年)
24.仁賢(にんけん)天皇 488年(在位 3年)
25.武烈(ぶれつ)天皇 498年(在位 10年)

ここまでは神話の世界、語り部の伝承によります

 

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26.継体(けいたい)天皇 507年(在位 9年)
27.安閑(あんかん)天皇 531年(在位 24年)
28.宣化(せんか)天皇 535年(在位 4年)
  百済から仏教が伝わる(538年)


飛鳥(推古)
29.欽明(きんめい)天皇 539年(在位 4年)
30.敏達(びだつ)天皇 572年(在位 33年)
31.用明(ようめい)天皇585年(在位 13年)
32.崇峻(すしゅん)天皇 587年(在位 2年)
  蘇我馬子物部氏を滅ぼす
33.推古(すいこ)天皇 592年(在位 5年)
  初の女性天皇 推古天皇が即位し、

        豊浦宮(とゆらのみや)を造営

  聖徳太子推古天皇の摂政になる(593年)

  推古天皇小墾田宮(おはりだのみや)に遷る

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34.舒明(じょめい)天皇 629年(在位 37年)
35.皇極(こうぎょく)天皇 642年(在位 13年)


奈良前期(白鳳)大化
36.孝徳(こうとく)天皇 645年(在位 3年)
37.斉明(さいめい)天皇 655年 
  重祚:一度位を退いた天子が再び位につくこと  

     《35代・皇極天皇
38.天智(てんじ)天皇 661年(在位 10年)
  中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)

        都を近江大津に遷す(667年)
39.弘文(こうぶん)天皇 671年(在位 10年)
40.白鳳・天武(てんむ)天皇 673年(在位 2年)
 大海人皇子(おおあまのおうじ)記紀の編纂開始
41.持統(じとう)天皇 686年(在位 13年)
  天武天皇の皇后→持統天皇

       都を藤原京に遷都

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42.文武(もんむ)天皇 697年(在位 11年)


奈良後期(天平
43.元明(げんめい)天皇 707年(在位 10年)

           都を平城京に遷都

   古事記完成(712年)


44.元正(げんしょう)天皇 715年(在位 8年)

   日本書紀完成(720年)


45.聖武(しょうむ)天皇 724年(在位 9年)
46.孝謙(こうけん)天皇 749年(在位 25年)
47.淳仁(じゅんにん)天皇 758年](在位 9年)
48.称徳(しょうとく)天皇 764年

      重祚:一度位を退いた天子が再び位につくこと

    《46代・孝謙天皇》(在位 6年)
49.光仁(こうにん)天皇 770年(在位 6年)


平安前期(弘仁
50.桓武(かんむ)天皇 781年(在位 11年)

 都を平安京に遷都


51.平城(へいぜい)天皇 806年(在位 25年)
52.嵯峨(さが)天皇 809年(在位 3年)
53.淳和(じゅんな)天皇 823年(在位 14年)
54.仁明(にんみょう)天皇 833年(在位 10年)
55.文德(もんとく)天皇 850年(在位 17年)
56.清和(せいわ)天皇 858年(在位 8年)
57.陽成(ようぜい)天皇 876年(在位 18年)
58.光孝(こうこう)天皇 884年(在位 8年)
59.宇多(うだ)天皇 887年(在位 3年)


平安後期(藤原)
60.醍醐(だいご)天皇 897年(在位 10年)
61.朱雀すざく天皇 930年(在位 33年)
62.村上(むらかみ)天皇 946年(在位 16年)
63.冷泉(れいぜい)天皇 967年(在位 21年)
64.円融(えんゆう)天皇 969年(在位 2年)
65.花山(かざん)天皇 984年(在位 15年)
66.一条(いちじょう)天皇 986年(在位 2年)
67.三条(さんじょう)天皇 1011年(在位 15年)
68.後一条(ごいちじょう)天皇 1016年(在位 5年)
69.後朱雀(ごすざく天皇 1036年(在位 20年)
70.後冷泉(ごれいぜい)天皇 1045年(在位 9年)
71.後三条(ごさんじょう)天皇 1068年(在位 23年)
72.白河(しらかわ)天皇 1072年(在位 4年)
73.堀河(ほりかわ)天皇 1086年(在位 14年)
74.鳥羽(とば)天皇 1107年(在位 21年)
75.崇徳(すとく)天皇 1123年(在位 16年)
  保元の乱に敗れ讃岐に配流
76.近衛(このえ)天皇 1141年(在位 18年)
77.後白河(ごしらかわ)天皇 1155年(在位 14年)
78.二条(にじょう)天皇 1158年(在位 3年)
79.六条(ろくじょう)天皇 1165年(在位 7年)
  生後7ヶ月で即位 歴代最年少
80.高倉(たかくら)天皇 1168年(在位 3年)
81.安徳(あんとく)天皇 1180年(在位 12年)
  歴代天皇最年少で崩御(8歳)
82.後鳥羽(ごとば)天皇 1183年(在位 3年)
  承久の乱後、隠岐に配流


鎌 倉
83.土御門(つちみかど)天皇 1198年(在位 15年)
  承久の乱後、土佐国に配流
84.順徳(じゅんとく)天皇 1210年(在位 12年)
  承久の乱後、佐渡に配流
85.仲恭(ちゅうきょう)天皇1221年(在位 11年)
86.後堀河(ごほりかわ)天皇 1221年(在位 0年)
87.四条(しじょう)天皇 1232年(在位 11年)
88.後嵯峨(ごさが)天皇 1242年(在位 10年)
89.後深草(ごふかくさ)天皇 1246年(在位 4年)
90.亀山(かめやま)天皇 1259年(在位 13 年)
91.後宇多(ごうだ)天皇 1274年(在位 15年)
92.伏見(ふしみ)天皇 1287年(在位 13年)
93.後伏見(ごふしみ)天皇 1298年(在位 11年)
94.後二条(ごにじょう)天皇 1301年(在位 3年)
95.花園(はなぞの)天皇 1308年(在位 7年)


吉野(南北)
96.(南朝初代) 後醍醐(ごだいご)天皇 1318年
 隠岐島流し
97.(南朝2代) 後村上(ごむらかみ)天皇 1339年(在位 21 年)
98.(南朝3代) 長慶(ちょうけい)天皇 1368年(在位 29年)
99.(南朝4代) 後亀山(ごかめやま)天皇 1383年(在位 15年)
     (北朝初代)光厳(こうごん)天皇 1331年(在位 52年)
     (北朝2代) 光明(こうみょう)天皇 1336年(在位 5年)
     (北朝3代) 崇光(すこう)天皇 1348年(在位 12年)
     (北朝4代) 後光厳(ごこうごん)天皇 1352年(在位 4年)
     (北朝5代) 後円融(ごえんゆう)天皇 1371年(在位 19年)
100.(北朝6代) 後小松(ごこまつ)天皇 1382年(在位 11年)


室町(足利)
101.称光(しょうこう)天皇 1412年(在位 30年)
102.後花園(ごはなぞの)天皇 1428年(在位 16年)
103.後土御門(ごつちみかど)天皇 1464年(在位 36 年)
104.後柏原(ごかしわばら)天皇 1500年(在位 36年)
105.後奈良(ごなら)天皇 1526年(在位 26年)


安土・桃山(織田・豊臣)
106.正親町(おおぎまち)天皇 1557年(在位 31年
107.後陽成(ごようぜい)天皇 1586年(在位 29年)


江戸(徳川)
108.後水尾(ごみずのお)天皇 1611年(在位 25年)
109 .明正(めいしょう)天皇 1629年(在位 18年)
110.後光明(ごこうみょう)天皇 1643年(在位 14年)
111.後西(ごさい)天皇 1654年(在位 11年)
112.霊元(れいげん)天皇 1663年(在位 9年)
113.東山(ひがしやま)天皇 1687年(在位 24年)
114.中御門(なかみかど)天皇 1709年(在位 22年)
115.桜町(さくらまち)天皇 1735年(在位 26年)
116.桃園(ももぞの)天皇 1747年(在位 12年)
117.後桜町(ごさくらまち)天皇 1762年(在位 15年)
118.後桃園(ごももぞの)天皇 1770年(在位 8年)
119.光格(こうかく)天皇 1779年(在位 9年)
120.仁孝(にんこう)天皇 1817年(在位 18年)
121.孝明(こうめい)天皇 1846年(在位 29年)


現 代
122.明治(めいじ)天皇 1867年(在位 21 年)
123.大正(たいしょう)天皇 1912年(在位 45年)
124.昭和(しょうわ)天皇 1926年(在位 14年)
125.平成(へいせい)天皇 1989年 上皇(在位 60年)
126.今上(きんじょう)天皇 2019年

 

飛鳥むかし むかし⛩移住したいまち🌅まほろば🌄

 奈良文化財研究所 発行の「飛鳥むかし むかし」国づくり編と飛鳥誕生編を読んだ。というか、絵本みたいな本なので、読んだというより見たかな?

この本は挿し絵が素敵です。

mahoroba3.cocolog-nifty.com

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愛知県春日井市 潮見坂平和公園に群生する蓮と睡蓮f:id:wa14007:20190821154501j:image

 

  何年か前ですが、奈良県立医科大学病院セカンドオピニオンで行ったことがあります。

車のナビの言う通りに来たけど、随分と遠かった記憶があります。

それもそのはず、名神高速➡︎阪神高速のルートでかなり大回りでした。こちらで治療が出来れば愛知を引き払って奈良に引っ越すつもりでした。f:id:wa14007:20190821210248j:image

 奈良県立医科大学病院は、奈良県南部の橿原(かしはら)市にあり、神武天皇即位で有名な橿原神宮神武天皇陵、藤原京跡など古代ロマンがいっぱいの場所にあります。f:id:wa14007:20190821203516j:plainf:id:wa14007:20190821102834p:imagef:id:wa14007:20190821102856p:imagef:id:wa14007:20190821102917p:image

  当時は病院🏥以外、目に入らなかったのですが、今、こうやって飛鳥に共感する日がやって来たのは何かのお導きのようです。🙏🙏🙏

 

🗾衝撃の日本史②🗾 我々はどこから来たのか??🌅🌄

  いつごろからか?私はなぜか「縄文時代」に興味がありました。

そしてシニア大学「地域・アカデミックコース」入学面接での志望動機に「縄文時代に関心がありまして・・」と答えて入学しました。

「地域・アカデミックコース」では私の希望に沿った講座はありませんでしたが、「歴史・地理学」という分野を知ったのは大きな喜びでした。

「地域・アカデミックコース」を終了し、聴講生で「日本思想史」を選択しましたところ、この講座が私の第二の人生を大きく変えてくれました。

 そのころ私は、四国お遍路を二周もして、いっぱしのお寺マニア気取りでした。

「日本思想史」の授業で「記紀」のことが分からなく、後で古事記日本書紀のことであると分かり、自分は理系だから「まぁ、知らなくて当然か!」と平然としていました。

 授業は先生によりますが、毎回レポートを課したり、テストで評価したりといろいろですが、「日本思想史」は毎回レポートが課されました。

聴講生はテストもレポートも義務ではありません。単位が与えられない聴講生は基本的にテストが受けれるはずがありません。しかしながら、目の前に「ニンジン」がぶら下げられないと勉強しない私は先生に単位に関係なく「レポートを出していいですか?」と尋ね、OKをもらいました。

 以下は、「日本の神話について」の授業後の課題レポートです。

自分的には精一杯書いたレポートですが、今になって思うと陳腐な内容です。

あえてアップします。

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 縄文時代は一万年以上続いた。

 その様子は遺跡や貝塚を通じてでしか知ることができないが、世界四大文明に匹敵する文明を有したという説もある。

 人々は太陽や月、山や川など自然を崇拝し、神道の基礎が芽生えていった。縄文土器は割られて埋められているという謎=亡くなった人を土偶にして家に祀り、時期が来たら割って捨てる、これは「生まれ変わり」を切に願う縄文時代の人々の願いであり、後の輪廻転生に繋がる。我国は神道と仏教が見事に融和した稀な国であるが、ここら辺にその源流がみてとれる。
 弥生時代に入り、稲作が始まると人々は定住し始め、小さなクニが各地にでき始めた。魏志倭人伝に紹介された邪馬台国卑弥呼はこの時代の話である。
古墳時代に入ると、ヤマト王権の国内統一が進んだ。七世紀末、第40代 天武天皇が口頭で語り継がれている神話を記紀として編纂した。記紀は「この世界はどうやって出来たのか?」「天皇が神に認めらえた存在」であり、国を治める理由や経緯が記述された天皇家の歴史書(系譜図)である。したがって天皇家と関係のない邪馬台国卑弥呼記紀に登場しない。
 ヤマト王権は、クマソと隼人(共に南九州に住んでいた部族)の東征によって出雲勢が支配する邪馬台国畿内)を打ち破り樹立した王権であると仮定すれば、記紀の神話が繋がる。天孫降臨の場所が高千穂(宮崎)または霧島(鹿児島)である理由になる。自分たちの出身地は南九州であるが、記紀に記すには平凡すぎるし権威もないので、縄文時代から営々と伝わるエピソードを自分たちの都合の良い神話とし、以前の歴史、すなわち偉大な縄文文化を消し去ってしまったのだと思う。歴史書は勝者によって書かれる。

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 最近いろいろ調べて分かったのですが、我々の祖先は、教科書で習ったように中国⇒朝鮮経由で稲作・仏教が伝わったのはなく、実は、イスラエル王国の末裔(ユダヤ人)がシルクロードを通って日本(ひのもと)に渡ってきたという説に大いなる真実味を感じてしまいます。

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 日本国紀にはさすがに「日高見国」の記載はありません。

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誉(ほまれ)高校、お疲れ様⚾️vs 八戸学院光星🥎

 高校野球のシーズンがやってきました。

選手たちは暑い中ご苦労様ですが、冷房の効いた部屋で熱戦を観るのは夏(お盆)の楽しみです。

 ここ愛知県は、私学四強のいずれかが出場し、結構、活躍するので熱狂的に応援することもなく「ながら観戦」が多くなっていました。

 ところが、今年は番狂わせ(誉高校には失礼ながら・・)隣町(小牧市)の高校が代表になりました。

おまけに「選手宣誓」と開幕試合を引き当て、これは絶対、何をおいても観戦しなければ・・本当は「甲子園」まで応援に行きたい気持ち⚾️🥎

相手は、青森県代表、八戸学院光星、強豪の前評判ですが、こっちも愛知の接戦を勝ち抜いた強者だ⚾️🥎

ところが、

 結果は思いもよらず、9-0の大敗⚾️🥎

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 愛知私学四強

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  1. 中京大中京
  2. 東邦(本年度選抜大会優勝)
  3. 愛工大名電
  4. 享栄

何故二つも死球(デッドボール)を?

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  誉の先発、杉本はインコースでバッターを仰け反らせ、アウトコースで見逃し三振を取る絶妙のコントロールで愛知大会の並み居る強豪打者を打ち取ってきました。

八戸学院光星の仲井監督は、愛知大会のビデオを徹底研究、上記の「クセ」を発見、選手をバッターボックスぎりぎりに立たせました。

バッターボックスぎりぎりに立てば、アウトコースの球も打てる、しかしデッドボールが怖い・・

愛知の強豪校の監督さんも同じことを考え、同じことを選手に指示したはず、しかしながら愛知大会では「無欲」で臨めたけど、甲子園に来ると「欲」が出てきます。

開幕戦、大観衆、全国中継・・何をとっても甲子園は「別世界」

結果論ですが、杉本投手がとても「小さく」見えました。そして、反撃の野手も腕が細く、とても「頼りなく」見えました。

「萎縮」という言葉を実感しました。

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誉高校 愛知大会を制すまでの歩み

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  • 誉高校は、Hゾーンのシード校、愛工大名電を破り、「ベスト8(準々決勝)」進出
  • 準々決勝、vs星城(本年度選抜優勝校 東邦を破る)に勝利
  • 準決勝、vs中京大中京に勝利
  • 決勝、桜丘に勝利

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 誉高校の場所

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愛知県小牧市の私立高校

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やっと、70,000. アクセスに到達(^^♪、愛知の方が多治見(岐阜県)より暑い(^_-)-☆天皇/皇后陛下、セントレアより帰京

 やっと、70,000. アクセスに到達(^^♪しました。

最近、自分でも記事がつまらなくなっていると思うので、アクセス数が伸びない・・

めげずに続けていきます。

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60,000.アクセス突破は、2019.3.5. でした。

wa14007.hatenablog.com

 

  さて、8月になり、急に酷暑の夏になりました。😵💦🥵

長雨で涼しい夏でしたが、いつもの夏が来た感じです。

 スマホで見たら、わが町(愛知県春日井市)の方が多治見(岐阜県)より暑い。🥵🥵🥵

九州や沖縄、ハノイベトナム)の方が気温が低い、これをどのように考えればいいのか?

  よく言われるように東京・大阪などビル群に囲まれている地域は温暖化現象となり、地球全体としては「寒冷化」に向かっているといわれるけど、わが町は田舎に毛が生えたような都会だし、どうなっているのだろう・・・理解に苦しみます。

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 岐阜県多治見市(下の地図 )は、いわゆる「盆地」です。

愛知県春日井市(下の地図、左側)は、山を隔てて岐阜県多治見市に接してします。

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 天皇皇后陛下セントレアより帰京

  今頃なんですが、天皇/皇后両陛下がセントレア(中部国際空港)から帰京(というのでしょうか?)する動画がYouTubeにありましたので、記念にアップしておきます。(6月の植樹祭にお越しになられた時のものです。)

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6月2日 天皇陛下が愛知県に!!セントレアからANAの特別機に

 

聴講生 春学期👨‍🏫最後の授業_r1

  春学期は、建築系の1科目だけ聴講、15回の講義、皆勤賞ならず1回休みでした。(かすがい熟年大学・入校式とのダブルブッキング)

3年生向け必須科目でかなり専門的でしたが、何とか付いて行けたと思います。

15回の講義を振り返って、とても有意義な時間を過ごせたことに感謝です🙏🙏

6人の先生方による豪華なプログラムは心に残っています。

課題レポート、2題を公表します。

いずれもかなりの部分がウキペディアからの転載です。

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ゴーヤ栽培日誌⑤ 収穫の時🥒🥒キュウリも収穫期🥒☔️

3本の内、一番早く結実したゴーヤは「ゴーヤサラダ」になりました。

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2本目の一番果、ずいぶん大きくなりました。さて、どうやって頂こうかな🙏

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そして、3本目、35㎝に育ってくれました。

大きい🙏🙏

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いつもより遅れて植えたキュウリ、こちらも収穫期になりました。夏野菜はぐんぐん大きくなり、凄い🌻😳🙏

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大きい🥒🥒 20cm オーバー

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🗾衝撃の日本史①🗾 古代(縄文・弥生時代)には、日高見国(ひだかみのくに)があった!!🌅🌄

 奈良のパワースポット 石上(いそのかみ)神宮のブログを書いていて、不思議に思ったことがありました。

 記紀古事記日本書紀)は、国生み物語はあるもの、実質、神武東征から始まっています。神武東征、すなわち、紀元前 660年より前の日本の状態はどんなだったのだろうか?

神武天皇の即位(紀元前660年)以前は、アマテラスを初め、多くの神々は高天原(天の上)に住むと神話で表現されています。

 したがって、神武以前の縄文時代は、人々は文明とは程遠い生活をしており、竪穴住居に住み、動物を追いかけたり、魚を捕まえたり、貝を拾ったりして暮らしていたという原始的なイメージを植え付けられています。

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 YouTubeをみていたら、田中 英道先生の記事を発見👩‍🏫、目からウロコ🤩😳

 先日、ブラタモリで「鹿島神宮」を取り上げていました。なかなか1回見ただけでは「番組が何を言いたいのか?」分かりませんでしたが、奈良・春日大社の鹿は、「鹿島神宮の鹿がルーツ」というのが妙に心に引っかかっていました。

 田中 英道先生は、1942年2月20日生まれで東北大学宮城県仙台市)で約50年間教鞭をとった美術史家です。

現在は、日本国史学会代表を務め、日本国史を研究、講演活動を通じて正しい歴史を発信しています。

 なるほどと思ったことがあります。古代(縄文・弥生)は、文字が無かったので記録がない、したがって前に書いたように「原始的な生活を送っていたに違いない」と決めつけていた。

田中 英道先生のご専門の「美術史」は、文字のない世界、美術のちょっとした違いを見極めて、例えば絵画が伝えたいことを読み解く、超難解な分野だそうです。

先生はこれを約50年間続けてこられ、東北大学を定年退官後、古代(縄文・弥生)の土器や絵などから、文字はないけど「かたち」を読み込んできたそうです。

 それによると、縄文時代は東国に太陽を絶対神とした国・・日本(ひのもと)が存在した。

太陽が最も早く出るのは、東国にあっては、常陸(茨城)、下総(千葉)(ブラタモリでは「ちばらぎ」と紹介)、西国にあっては、三重県伊勢です。

 早くから東国は鉄が産出し、鉄製武器を使っていました。

一方、西国は鉄があまりとれず銅が中心、鉄製武器と銅製武器では勝負になりません。

下の図は、東征のルートを示しています。

東征以前、東国武士が大陸からの侵攻により九州が危ないとのことで、鹿児島に船で行ったルート、畿内に侵攻するために伊勢にも船で向かいました。(赤い線)

この出発地が、鹿島神宮香取神宮だったそうです。

縄文時代の神社は国家神道の拠点であり、有事の際の軍事拠点でもあった。)

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www.youtube.com

日高見国の登場

「東夷の中、日高見国有り。其の国人、男女並に椎結(かみをあげ)、身を文(もどろ)けて、人となり勇悍(いさみたけ)し。是をすべて蝦夷と曰(い)う。亦(また)土地(くに)沃壌(こ)えて曠(ひろ)し。撃ちて取るべし」
(「日本書紀景行天皇二十七年二月紀内宿穪奏言)

 そうなると「日高見国」はどこにあったのか?という邪馬台国論争みたいになりがちですが、それは次回以降に続くとして、縄文時代に偉大な文明が存在したことを確信している今日この頃です。

時 代 区 分

    王朝国家10世紀初頭 – 12世紀後期
  平氏政権 1167年 – 1185年

      南北朝時代 1336年 – 1392年
      戦国時代 1467年(1493年)– 1590年

       鎖国 1639年 – 1854年
      幕末 1853年 – 1868年

  • 明治時代 1868年 – 1912年
  • 大正時代 1912年 – 1926年
  • 昭和時代 1926年 – 1989年

     GHQ占領下 1945年 – 1952年

  • 平成時代 1989年 – 2019年
  • 令和時代 2019年 –

続 く

 

ゴーヤ栽培日誌④🌼初収穫がまじかです。🌼

 なかなか雌花が咲かなかったけど、講習会で教わった夏至の日(6月22日)ぴったりに咲いてくれました。そして受精してくれたようで、ゴーヤの赤ちゃん誕生

葉も茂って「緑のカーテン」らしくなりました。

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 雄花がいっぱい咲いてます。探したけど雌花が無い!

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  茂った葉の中に一番果、発見!長さは約15cm

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石上神宮(いそのかみじんぐう)⛩奈良のパワースポット⛩が凄かったです。

  神秘がにじむ奈良のパワースポット「石上(いそのかみ)神宮」に行ってきました。
場所は奈良県天理市、有名な天理教本部があります。天理教は江戸時代末に発足した新宗教の一つです。

さて、古代においては、天皇が変わるたびに都(住まい)を移していましたが、代表的なものは、

 山辺の道・・平城京藤原京飛鳥京を結ぶ古代の主要道。石上神宮はちょうど 山辺の道の真ん中にあります。

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(図解 古事記日本書紀(普及版) 発行者:西東社 Kindle版より転載)

山辺の道から石上神社に向かう道(左)、のどかな民家や石仏(右)

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pow-spo.com

石上神宮は神剣や神宝に宿る魂を祭る不思議な神社

 石上神宮は、日本最古の神社の一つで、部門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。

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② 魂を活性化させる秘術が伝わる

 

③ 眷属(けんぞく・・神の使い)の鶏がたくさんいる

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④ 神話に語り継がれる神剣が本当に出土した

 古事記に神剣の記述がありました。

(とんでもなく面白い「古事記」 発行者:清水卓智 電子書籍より転載)f:id:wa14007:20190618162310j:image

 布都御魂(ふつのみたま)・・高倉下(たかくらじ)が伊波礼毘古(いわれびこ・・後の神武天皇)に献上した太刀が祭神としてまつられたが、鹿島神宮にも布都御魂(ふつのみたま)が伝わっているそうです。

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(図解 古事記日本書紀(普及版) 発行者:西東社 Kindle版より転載)

 

御朱印がとてもカッコいい

 剣を描いた特別ご朱印があるみたいですが、普通のご朱印をゲット。

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⑥ 国宝がたくさんある

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 石神神宮の神庫(ほくら)に伝世した古代の遺品で、社伝では「六叉鉾(ろくさのほこ)」 と称されてきましたが、現在では刀身に記された銘文により「七支刀」と称しています。
特異な形をした鉄製の剣で、全面が鉄銹(てつさび)に覆われており、伝世以来当神宮の御神体同様のものとして奉斎されてきました。製作年については、現在の銘文解釈によると西暦369年と考えられています。
また、この七支刀は『日本書紀』の神功皇后摂政52年に百済から献上されたとみえる「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられています。

 

●祖神のすり替えと神話作り
 鎌足の子に「藤原不比等」という政治の大天才がいた。後の1000年にも渡る藤原氏の栄華と繁栄の基礎は彼が築いたといっても過言ではない。

娘を入内させることによって政治の実権を握る、藤原氏お得意の外戚政治を行ったのも彼が最初である。

また不比等は「古事記」「日本書紀」編纂にも、かなり影響力を与えていると言われている。

不比等記紀編纂にあたって、万世一系天皇家の権威の確立と皇室を補佐する藤原氏の正統性を揺るぎなきものにするため、多くの氏族から伝承を集め、各氏族の領地の安堵との交換条件で、氏族伝承を買い取ったとも言われている。

日本書紀においては、伊勢の神宮石上神宮のみが「神宮」と記載されていた

 その後、平安時代に成立した延喜式においては、石上神宮に代わり鹿島神宮香取神宮が「神宮」と記載され、江戸時代まで「神宮」を社号とする神社は、この3社のみであった。

 本来物部氏が持っていた宮中の祭祀権も中臣氏によって独占され(中臣神道の成立)、石上神宮の神宮の名称が剥奪されたうえに、新たに中臣氏(藤原氏)の一族神として武甕槌・経津主二神が鹿島神宮香取神宮に祭られたのではないだろうか

 sazanami217.blog.fc2.com

 

 

初めての揚げ物(^_-)-☆からあげ😊

 いつかは揚げ物を作ってみたいと思っていましたが、からあげに挑戦しました。

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材料はいたってシンプル

  • からあげ粉 1袋(100g)
  • 水 100㎖(1/2カップ
  • 鶏肉 約500g(もも肉なら2枚分)

 

 ①からあげ粉、水で混ぜ合わせます・

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 ②もみ込む・・一口大に切った鶏肉を入れて、よくからめ、30秒間よくもみ込んでから10分間おきます。

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揚物モードがあり、油の温度を設定できる。

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 本当に180℃になったかチェックしましたが、100均の温度計なのでよく分かりませんでした。156℃くらいか?(フルスケール:200℃)

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 ③さあ、揚げてみよう!・・170~180℃に熱した油で、約4分間揚げます。(深めの鍋に油3~4cmが目安)

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 いい色になってきました。

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 ④完成(^^♪・・香ばしいしょうゆ味、ガーリック風味のからあげができました。うれしい!(^^)!🙆‍♂️💁‍♂️

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南都七大寺③🙏薬師寺🙏法相宗 大本山

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 伽藍図:とにかく大きいです。16:30ころの入場で、ご朱印ゲットがやっとでした。また機会があれば、ゆっくり参詣したいお寺です。

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金堂(こんどう)

 金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に裳階(もこし)をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。

薬師寺白鳳伽藍は、金堂を初めとして東塔の意匠ですべて統一されています。

また「堂内の荘厳は美をつくし、燈火がなくても金色に光り輝いていた」と伝えられています。

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薬師三尊像(国宝・白鳳時代

  薬師如来を中央に、向かって右が日光(にっこう)菩薩、左が月光(がっこう)菩薩、あわせて薬師三尊といいます。薬師如来は、東方浄瑠璃(とうほうじょうるり)浄土の教主で、またの名を医王如来とも言い、私たちの身と心の病気を救ってくださる仏さまです。

脇侍(わきじ)の日光・月光両菩薩は、動きのある美しい姿で、理想的な写実美を完成した仏さまといわれています。

 あたかも今造られたような美しいお姿は、世界でも最高の仏像と仰がれています。

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(この写真は、薬師寺ホームページから転載。堂内は撮影禁止)

 薬師如来台座【国宝】白鳳時代

 薬師如来が座っている台座には、7世紀頃の世界各地の文様が集約されています。一番上の框(かまち)にはギリシャの葡萄唐草文様(ぶどうからくさぶんよう)、その下にはペルシャの蓮華文様(れんげもんよう)が見られます。

各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人[ばんじん])の裸像が浮彫りされています。さらに、下框には、中国の四方四神(東に青龍[せいりゅう]、南に朱雀[しゅじゃく]、西に白虎[びゃっこ]、北に玄武[げんぶ])の彫刻がなされています。正にシルクロードが奈良まで続いていたのです。

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 西塔

 西塔は昭和56年(1981)に復興されました。創建当時から現存する東塔の風雨にさらされ落ち着いた雰囲気に対し、西塔は創建当初の輝きを思わせる色彩が鮮やかです。

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東塔

  薬師寺は度重なる天災人災により数多くのお堂を失いました。その中で創建当初から唯一現存する建物が東塔です。
東塔には屋根が6つありますが、下から1,3,5番目の小さい屋根は裳階
もこし(飾りと風よけの為の小さな屋根)で、内部は三層が重なった、三重塔です。
屋根の大小がおりなすバランスがとてもリズミカルで「凍れる音楽」とも評されました。
平成21年より史上初の全面解体修理に着手しており、平成32年(令和2年)4月に落慶法要を勤修する予定です。

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全面解体修理前の東塔の威容

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大講堂

 僧侶が集い、仏教の教義について学ぶ為のお堂です。

堂内は仏様をお祀りする為の須弥壇よりも、僧侶や拝観者の為のスペースが広く作られています。また天井が高く、大きく音が響きます。このようにたくさんの人が仏法を学ぶ為の空間が広がっています。
薬師寺の宗派である法相宗は特に学問を重視している宗派であり、薬師寺のお堂の中で最も大きく建てられています。
かつては高さ約9m、幅6.5mの刺繍で作られた阿弥陀浄土図が本尊とされていました。

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 西塔と金堂

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鐘 楼

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 睡蓮の花が咲き始めていました。

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 ご朱印

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薬師寺ホームページ ☟

https://www.nara-yakushiji.com/