まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

🗾衝撃の日本史②🗾 我々はどこから来たのか??🌅🌄

  いつごろからか?私はなぜか「縄文時代」に興味がありました。

そしてシニア大学「地域・アカデミックコース」入学面接での志望動機に「縄文時代に関心がありまして・・」と答えて入学しました。

「地域・アカデミックコース」では私の希望に沿った講座はありませんでしたが、「歴史・地理学」という分野を知ったのは大きな喜びでした。

「地域・アカデミックコース」を終了し、聴講生で「日本思想史」を選択しましたところ、この講座が私の第二の人生を大きく変えてくれました。

 そのころ私は、四国お遍路を二周もして、いっぱしのお寺マニア気取りでした。

「日本思想史」の授業で「記紀」のことが分からなく、後で古事記と日本書紀のことであると分かり、自分は理系だから「まぁ、知らなくて当然か!」と平然としていました。

 授業は先生によりますが、毎回レポートを課したり、テストで評価したりといろいろですが、「日本思想史」は毎回レポートが課されました。

聴講生はテストもレポートも義務ではありません。単位が与えられない聴講生は基本的にテストが受けれるはずがありません。しかしながら、目の前に「ニンジン」がぶら下げられないと勉強しない私は先生に単位に関係なく「レポートを出していいですか?」と尋ね、OKをもらいました。

 以下は、「日本の神話について」の授業後の課題レポートです。

自分的には精一杯書いたレポートですが、今になって思うと陳腐な内容です。

あえてアップします。

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 縄文時代は一万年以上続いた。

 その様子は遺跡や貝塚を通じてでしか知ることができないが、世界四大文明に匹敵する文明を有したという説もある。

 人々は太陽や月、山や川など自然を崇拝し、神道の基礎が芽生えていった。縄文土器は割られて埋められているという謎=亡くなった人を土偶にして家に祀り、時期が来たら割って捨てる、これは「生まれ変わり」を切に願う縄文時代の人々の願いであり、後の輪廻転生に繋がる。我国は神道と仏教が見事に融和した稀な国であるが、ここら辺にその源流がみてとれる。
 弥生時代に入り、稲作が始まると人々は定住し始め、小さなクニが各地にでき始めた。魏志倭人伝に紹介された邪馬台国や卑弥呼はこの時代の話である。
古墳時代に入ると、ヤマト王権の国内統一が進んだ。七世紀末、第40代 天武天皇が口頭で語り継がれている神話を記紀として編纂した。記紀は「この世界はどうやって出来たのか?」「天皇が神に認めらえた存在」であり、国を治める理由や経緯が記述された天皇家の歴史書(系譜図)である。したがって天皇家と関係のない邪馬台国や卑弥呼は記紀に登場しない。
 ヤマト王権は、クマソと隼人(共に南九州に住んでいた部族)の東征によって出雲勢が支配する邪馬台国(畿内)を打ち破り樹立した王権であると仮定すれば、記紀の神話が繋がる。天孫降臨の場所が高千穂(宮崎)または霧島(鹿児島)である理由になる。自分たちの出身地は南九州であるが、記紀に記すには平凡すぎるし権威もないので、縄文時代から営々と伝わるエピソードを自分たちの都合の良い神話とし、以前の歴史、すなわち偉大な縄文文化を消し去ってしまったのだと思う。歴史書は勝者によって書かれる。

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 最近いろいろ調べて分かったのですが、我々の祖先は、教科書で習ったように中国⇒朝鮮経由で稲作・仏教が伝わったのはなく、実は、イスラエル王国の末裔(ユダヤ人)がシルクロードを通って日本(ひのもと)に渡ってきたという説に大いなる真実味を感じてしまいます。

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 日本国紀にはさすがに「日高見国」の記載はありません。

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