まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

南都七大寺②🙏東大寺🙏

  若草山の麓にある食事処「春日野」で、大和ポーク冷しゃぶ料理を堪能😊

しあわせなひととき🙏🙏🙏

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  東大寺駐車場が満車なので、バス🚌は少し先の春日大社の駐車場にいるみたいです。

これからは徒歩で🚶‍♂️🚶‍♀️移動。

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有名な二月堂や法華堂の前を通り過ぎて、東大寺に向かいます。

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  とにかく、人 👨‍👨‍👧 👨‍👨‍👧‍👦  👨‍👨‍👦‍👦  👨‍👨‍👧‍👧  人 人 の波、🌊🌊🌊

外国人観光客、修学旅行生で溢れかえっています。

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 東大寺天平創建大仏殿(東大寺金堂)国宝

 聖武天皇(45代、724-748)の発願により創建された東大寺の本尊(大仏さま)は、「華厳経」の教主である盧舎那仏で、天平勝宝四年(752)四月に「大仏開眼供養会」が盛大に厳修されました。

その後も講堂・東西両塔・三面僧房など諸堂の造営は、延暦八年(789)三月の造東大寺司の廃止まで続行されました。

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左脇侍(向かって右) 如意輪観音坐像(江戸時代 元文3年(1738年)ごろ)像高7.22m 寄木造彩色 国指定重要文化財

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 東大寺国分寺として建立され、国家の安泰と国民の幸福を祈る道場でしたが、同時に仏教の教理を研究し学僧を養成する役目もあり、華厳をはじめ奈良時代の六宗

  1. 華厳(けごん)宗
  2. 三論(さんろん)宗
  3. 俱舎(くしゃ)宗
  4. 成実(じょうじつ)宗
  5. 法相(ほっそう)宗
  6. 律(りつ)宗

さらに平安時代の天台と真言も加えた各研究所(宗所)が設けられ、八宗兼学の学問寺となり、多くの学僧を輩出しました。

広目天立像

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http://butszo.jp/2014/04/2807/

 

ご朱印

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(このご朱印は合成写真です。)

 

金剛力士

 南大門には、左に阿形像、右に吽形像が向かい合う形で安置されている。
 また、阿形像は大仏師運慶と快慶が小仏師13人を率いて造立し、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人を率いて造立したものであることも判明している。

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https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/todaiji/todaiji-nandaimon.htm

 

大仏さまの手が飾ってありました。

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(記載した個別のURLのほかにお寺でいただいたパンフレットから引用・転載しました。)

最後に

  それにしても巨大な建造物を天平時代の人々は建造したものだ!

何故、大仏さまを建立する必要があったのかを考察します。

 その頃の世界情勢は、大国「唐」がほぼ世界の中心でした。仏教をはじめ、貨幣、文化などほとんどのものが唐からもたらされ、唐の属国になってもおかしくない状態でした。

そんな中、聖徳太子が巧みな外交力で日本の独立を貫き通しました。聖徳太子の遺言を後世の天皇が引き継がれ、この大仏建立はその仕上げになったと思います。

 やがて、都は京に遷り、仏教も日本独自ではないが、天台、真言の平安仏教に発展、日本の独立は今までの長きにわたり守り通されたのです。