白山(しらやま)神社の赤い鳥居が素敵です。 ⛩⛩ 愛知県 春日井市
2017.5.1(月) 今日から五月、連休の谷間ですが、授業が二コマありました。
2コマ目:まちづくりと地域生活(高田先生)
3コマ目:東アジアの言語と社会(于_う 先生)
授業は1コマ90分ですが、有難いことにアッという間に過ぎていきます。
今日は、授業の内容をblogにしようと思ったのですが、なかなか内容が濃いものがあり、blog風に噛み砕いて紹介するには、ちと、私の能力不足なので、次の機会にします。
地元の白山(しらやま)神社の赤(朱)鳥居を学校の帰り道に撮影したので、アップします。どちらかというと今まで、「お寺さんonly」でしたが、最近、神社(神道)の奥深さに少しづつ触れています。
白山稲荷神社:御祭神(宇迦之御魂大神/うがのみたまのおおかみ)
白山稲荷の大神様は、全国に三万余りを数える稲荷神社の総本社でもある京都の伏見稲荷大社から新たに御分霊をいただいてお祀り致しました。
稲荷の大神様「宇迦之御魂大神」(うがのみたまのおおかみ)は、農工商をはじめ、あらゆる産業の守護神として古来より庶民の信仰の厚い神様であります。
白山神社ホームページより転載
総本山は、白山(はくさん)神社本宮(石川県白山市)
社殿(お寺とは異なる「凛」とした佇まいを感じるようになりました。)
天神様
京都の北の天満宮は、九州の太宰府天満宮と共に全国におよそ12,000余の総本社として知られている。菅原道真は奈良時代以降の神としてこれ程神として祭られている人は空前絶後である。白山神社ホームページより転載
守山探検隊 🗿志段味古墳群探索コース
2017.4.30(日) 暑い日、13時現在:24℃、最高気温予想は26℃だ。今日は隣町、名古屋市守山区志段味の古墳群をウォーキングすることにした。
万歩計のスタート歩数:2181、帰宅後歩数:7364、差し引き:5138歩
この案内書(名古屋市守山区役所ホームページからDL)の説明文を以降の説明に転載しました。
①勝手塚古墳
ほぼ完全な形で残っている古墳の上に勝手社という珍しい名前の神社⛩のお社が建っています。
②西大久手古墳
一番下の写真は、東谷山
途中の風景)大久手池
ここにはカワラヒワ、ホオジロ、セグロセキレイ、カルガモ、ダイサギなどの野鳥がいます。
③東大久手古墳
④志段味大塚古墳
墳頂には今も埋葬施設(木棺)が残っています。
⑤国史跡 白鳥塚古墳
愛知県内三番目の大きな古墳です。形の整ったきれいな塚です。
⑥市史跡 白鳥1号墳
横穴式石室がほぼ完全に残っている古墳です。中には入れませんでした。
公園(歴史の里)として整備中でした。(平成30年オープン予定)
古墳の周辺は住宅地🏘として、洒落たお家がいっぱい建築中です。
大学も見えます。
こんなんもありました。
大好きな観音さまの石仏です。
知多四国八十八ヶ所巡礼③ 1番~4番、7番~9番
2017.4.29(土・祝)昭和の日、大型連休の始まりですね!
2月に二周目を開始しましたが、一けた台の回れていない7ヶ寺に行ってきました。これで20番までは終了、21番以降の二周目は季節の良いうちに行ってみたい。
いろんな人が知多四国巡礼に関する blog を書いています。私は観音様に重きをおいて巡礼したく思います。今までの2回の blog のリンクをこのページの最後に付けました。宜しかったらご覧ください。
各お寺さんの大師堂に置いてある五鈷杵(ゴコショ・ヴァジュラ)ですが、初めて写真に収めました。
http://www.oparaq.com/shop/sen/hougu/47490.html
1番さんは三周目です。「今川義元供養の寺」であることと、納札を買いに行きました。
2番さんはとにかく道が狭いし、分かりにくい場所にありました。でも、とっても素敵なお寺さんです。
お接待の梅干しが美味しかったです。
この場所はよく覚えています。Sさん、どうしているかな・・・
今回も般若心経はお唱えしなかったけど、本堂ではご本尊の「ご真言」、大師堂では「南無大師遍照金剛」とお唱えしました。
お釈迦様と観音菩薩様
お接待☞「ご自由にお持ちください」
可愛すぎるので、2ケ、もらってしまった(もちろん、納経所の方にご了解をいただきました。)
藤がそろそろ見ごろ迎えていた。とても綺麗・・
実は去年うるう年ということで、逆打ちをちょっとだけ回りました。5 番は逆打ちルートに入っていたのです。
地蔵寺についてはこちら☟
本堂
大師堂:「南無大師遍照金剛(なも だいし へんじょう こんごう)」とお唱えした後、
おんあぼきゃ べいろしゃのう
まかぼだら まにはんどま
じんばら はらばりたやうん
そういえば、本四国ではこのようにお唱えしていた・・懐かしかった・・
ご本尊:阿弥陀如来さま ご真言:おんあみりた ていせい からうん
お地蔵さまと燈明(絶妙のコンビネーション)
境内のお花🌸🌼💐と本堂・旧鬼瓦です。
本日のご朱印です。
長福寺(名古屋市緑区) ⚔️桶狭間の戦いで敗死した今川義元の供養寺
2017.4.28(金) 桶狭間に行ってみたくなりました。
高速を使わずに下道(R302)で行ってます。連休前なので車が多いな🚘🚘🚗トヨタ系の会社など大企業は多分明日から9連休だと思う。
長福寺(ちょうふくじ)は、愛知県名古屋市緑区にある西山浄土宗(浄土宗西山派の一派)の寺院です。山号を和光山(わこうざん)、院号を天沢院(てんたくいん)と称し、本尊は阿弥陀如来です。1560年6月12日(永禄3年5月19日)の桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られています。 ウィキペディアより転載
本尊の阿弥陀如来さまです。
こちらは観音堂(西国三十三観音さま)
薬師堂です。
長福寺の近隣にはため池「大池」があり、これを水源とする境川水系鞍流瀬川(くらながせがわ)が参道を分断し、現在は暗渠化されているもののかつては「浄土橋」と呼ばれる橋がかかっていたといいます。
桶狭間の戦いの折り、この川は血で真っ赤に染まり、馬の鞍の流れる様子から鞍流瀬川と名づけられたともいわれます。
浄土橋という名にも、大量の戦死者への供養の意が込められていたといいます。 ウィキペディアより転載
鐘楼
桶狭間古戦場公園
長福寺から歩いても数分の場所にあります。
信長公と義元公を仲良く並べたところが素敵ですね・・
逆光だったので、後ろすがたをどうぞ!
史跡桶狭間古戦場
こちらは長福寺、古戦場公園からだいぶ離れた場所にありました。(豊明市)
実際、今川義元が討たれた場所みたいで、本陣があったところなんでしょうね・・
あとがき
天下の名将・今川義元を、尾張の子倅(信長)が討ったなど当時の誰しもが信じられなかったし、考えなかったでしょう! 兵力差は1:10、秀吉の小田原城攻めの箱根・山中城攻めと、ほぼ同じ兵力差です。もし、箱根・山中城の守りが信長だったら、歴史はどうなっていたのだろう・・
人間力の差と簡単には決めつけれないでしょうけど、すごく興味のあるテーマだと思います。歴史は面白いですね!
高蔵寺(春日井市)
2017.4.27 (木) 今日のblogの「高蔵寺」は駅の紹介ではなく、お寺さんの紹介です。
五社大明神社と高蔵寺は家の近くの「神仏」です。
高蔵寺に長年住んでいますが、リタイアして初めて高蔵寺を身近なものとして感じることができました。(つまり、今まで、ちゃんとして行ったことが無かったのです。四国だ、西国だと騒ぐのも悪くはないですが、今年は「Discover Kozoji & Jimoto」です。)
春日井市東部にある高座山の南麓に位置する天台宗の寺院。山号は「燈明山」(とうみょうざん)。寺伝によれば、平安時代中期の933年(承平3年)、比叡山の僧智蔵によって創建されたといい、最盛期には一山に十二坊があった。
山門から本堂を望む、お地蔵さまがいらっしゃいます。
ご本尊、薬師如来がいらっしゃる薬師堂、お寺の東側に建っています。
ご本尊、木造 薬師如来坐像 (平安時代作)は、残念ながら秘仏です。
こちらが本堂(多分)
ご本尊が薬師如来なので、薬師堂が本堂かもしれない・・まだ勉強中の身なので区別がつきません、すみません!
毘沙門天を祀る社もあります。
毘沙門天は、四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。
庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格である財福の神という面が強まり、また9世紀頃からは正月の追儺において、疫病を祓う役どころがかつての方相氏から毘沙門天と竜天のコンビに変わっていったことから無病息災の神という一面が加わる。
平安時代末期にはエビスの本地仏ともされ、日本では毘沙門天は甲冑をつけた姿が主流となるがこの姿はエビス神の古い形態でもあり、このことは市場で祀られたことと関係がある。
こうして福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。
毎年1月7日 高蔵福徳神10か寺巡りの1つに入っています。今年参加したblogを良かったらクリックしてください。☟
子安の井戸の説明はこちら☟
天台宗のお寺なのに、最澄ではなく、空海(弘法大師) がいらっしゃる。
眼下にお寺の山門と高蔵寺駅が見えます。
岩屋山 薬師堂🏔愛知県 瀬戸市
2017.4.26(水) 愛知県 瀬戸市と春日井市は隣り合わせで、これまで瀬戸市には何回も行っていますが、瀬戸で有名な岩屋堂には行けておらず、今日、始めて行って来ました。
岩屋堂の由来: 紳亀二年(725)名僧行基が当地に来て草庵を結び、この岩窟内で三体の仏像を彫刻し、時の聖武天皇の病気平癒を祈願した霊跡であり、一体の薬師瑠璃光如来を本尊として、岩屋山薬師堂が建立され諸堂を完備し信仰を集めている。小鳥たちも宝前に木の実を供えたといい鳥原という地名の由来がある。
◎岩屋山薬師堂を略して岩屋堂という
◎目耳の病護に霊感あらたか
◎現在は、曹洞宗 洞谷山 浄源寺の奥の院です。
◎大祭は十一月末の日曜日に浄源寺で厳修
山主啓白
岩屋堂の内部です。 (1)
外に出て見る👀。
岩屋堂の内部です。(2)
薬師瑠璃光如来がご本尊様です。
浄源寺ホームページ ☟
http://www.gc-net.jp/jougenji/
滝があります。
お参りしなかったので、今度にします。すみません🙏
小学生が遠足に来ていました。
五社大明神社:春日井市高蔵寺町
2017.4.24(月) きょうは、授業があったので簡単なblogになります。
最近、授業について行けず、壁にぶつかっています。授業の中身はともあれ、その考え方というのか、なぜ、そうなのか?という部分が飛んでしまっている気がしています。なので久々の挫折感を味わっています。文系・理系の差と簡単に決めつけないで、もう少し悩んでみます。
この悩みもcaacに来たから味わえる貴重なものであります。(相変わらずの楽観主義)
JR中央線・高蔵寺駅の北側にある我が家の初詣のメッカ、五社大明神社を紹介します。
五社大明神社の謂
社伝は明らかでないが、祭神が尾張氏の祖神であることより推して、その創立の古い事が知られる。
創立当初の位置は不明である。
明応2年(1493年)再建の棟札があり、大永8年(1528年) 今の地に遷宮されたと伝えられるも、いずれの地からか不詳である。
さらに承応4年(1655年) にも再建されたという。
明治45年(1912年)日吉社さらに大正7年に高蔵社、厳島社が合祀された。昔、熱田神宮の 高倉明神と祀っていたので、高倉地と呼ばれた、又熱田高蔵宮であったとも伝えられる。
祭神
・大碓尊(おうすのみこと)
・素盞嗚尊(すさのおのみこと)
・菊理比売姫(くくりひめのみこと)
・日本武尊(やまとたけるのみこと)
・天目一命(あめのまひとつのみこと)
境内社
・八幡社 ・金毘羅社 ・津島社 ・山神社 ・高蔵社 ・厳島社
五社大明神社 ホームページより転載
初詣以外では、夏に行われる天王祭(おまんと)に自治会として参加しています。
犬山城(白帝城)
2017.4.22(土) 午前中のコミュニティプラザの当番の後、国宝 犬山城に行きました。
犬山城(いぬやまじょう)は、愛知県犬山市にあった日本の城である。現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。
ウィキペディアより転載
天守閣に登るには、結構急な階段を上っていく。
大変な人出でした。(ツアー客のようだった。)
天守閣からの眺め
木曽川方面、橋の向こうは岐阜県鵜沼市&各務原市、手前は、名鉄犬山ホテル
犬山成田山方面を望む
☝解体骨組模型(1/10)です。
犬山城の天守は外観3重、内部は4階、地下に踊場を含む2階が付く。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守である。窓は突上窓と火灯窓、両開き窓なと、 地階1・2階出入口を含めて、総延面積は698.775平方メートルに達する。天守台石垣は野面積という積み方で、高さは5メートルある。天守の高さは19メートルある。
1階:納戸の間、東西9間・南北8間 床面積は282.752平方メートル。
2階:武具の間、東西9間・南北8間 床面積は246.006平方メートル。
3階:破風の間、東西3間・南北4間 床面積は81.936平方メートル。
4階:高欄の間、東西3間・南北4間 床面積は49.835平方メートル。
ウィキペディアより転載
着物👘で犬山城下を散策出来ます。
かき氷が美味しい🍧
天守閣を望む。
お城には着物が似合うねぇ、レンタルできるみたいですよ!
現存天守12城
弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城
ウィキペディアより転載
五社神社:春日井市 玉野町
2017.4.21(金) 家の近くに「五社大明神」という神社があり、わが家の初詣のメッカです。また家から、そう遠くないところに五社神社があると聞き、その関連性が気になっていました。(名前が似てるので)
神社⛩は留守で、誰もいないので聞くことが出来なかった。追い追い調べて、報告します。
永享元年(1429年)創建と伝わり、天照大神、須佐之男命、日本武尊、建稲種命、宮簀姫命を祀る。
「玉野の秋祭り」と呼ばれる10月の例大祭では、地元保存会による棒の手の演武や火縄銃発射のデモンストレーションが披露される。また、「祇園祭」の名前で呼ばれる津島神社祭は地元の津島神社の例祭だったが、場所の問題もあって現在では毎年7月に五社神社前で催されており、山車からくりが奉納される。
ウキペディアより転載
神殿の裏に回ることができた。階段があり、昇ってもよさそうな雰囲気・・
ここにご神体(主祭神)がいらっしゃるのだろうか?
主祭神は、天照大神、須佐之男命、日本武尊、建稲種命、宮簀姫命と書いてあった。
主祭神とは、「複数の神を祀っている神社において、主として祀られる神のこと。」とあるので、上の記述は正しくは、「祭神」
ご用が済んだお札を燃やすのだろうか・・
森の中にある二十二夜社
同じく森の中にある秋葉社
神殿を右側から撮影、
穀雨(こくう)🎏飯高観音→女城主 岩村城ツアー
2017.4.20(木) 今日から5月4日ころまでは、二十四節気の穀雨(こくう)で、種まきを迎えるこの時期の雨は、農作業にとって重要な意味を持ちます。
数ある雨の呼び名からも、人々の雨に対する思いが伝わってくるよう・・
やっと、冬用タイヤ(スタッドレス)をノーマルに交換した。乗り心地が改善されたので、少し遠出しよう🚙
昨日、定光寺で教えてもらった岐阜・恵那の飯高観音まで行くことにした。家から山道(R363)を往復 100 km over の距離だ。
寒天の里、山岡町を通過
かなり登って来たので、高蔵寺とは気温が違うみたい、🌸桜が方々で満開でした。
これは、instagramに投稿予定の写真(笑・^_^) 一輪車と小川が癒やされる😄
飯高観音に着きました。臨済宗妙心寺派のお寺さんです。📿📿
正式名称:飯高山萬勝寺(いいだかさんまんしょうじ)
萬勝寺 山門
鐘楼です。
境内と観音さま
本堂(本尊:南無十一面観世音菩薩)
新観音堂
慈母観音菩薩像
観音菩薩像
新観音堂と内観
弘法堂(旧観音堂)
境内に釈迦三尊があります。
立派なお寺さんでした。
お花がいっぱい💐🌼🌸
帰り道、ツクシを発見
岩村城ツアー
帰り道は、R19経由だったけど地図を見直すと、随分と遠回りしたようだ。走行距離は、約 150 km
定光寺📿📿七難即滅 七福即生
2017.4.19(水) 尾張の鬼門封じの定光寺に参詣すると、災難はたちどころに滅し、多くの福徳が授かると古来より多くの信仰を集めてきました。
健康長寿・交通安全・学業成就・商売繁盛はもとより、良縁を結ぶ縁結びの祈願所でもあります。
定光寺ホームページより転載
観音さまのお出迎えです。(駐車場から入ると)
お地蔵さまも迎えてくれます。
山門
本堂は改装中でした。
本尊 延命地蔵願王菩薩
本尊には智慧と健康の仏様「延命地蔵菩薩」を安置しています。
六道能化、延命長寿、女人安産、学業成就、交通安全、病気平癒など十種の服を授け給うを祈り、当寺開山の因縁深き霊仏として深く信仰されてきたご本尊です。
定光寺ホームページより転載
徳川源敬公 御廟
御 朱 印
帰り道、水野祭りの鯉のぼり🎏が泳いでいた。
田縣(たがた)神社と青塚古墳:愛知県犬山市
2017.4.18(火) 田縣神社は、古来より五穀豊穣、家業繁栄、開拓の祖神として崇められています。
特に大同二年(807)に編纂された古典『古語拾遺-御歳神の条-』の故事に基づいて男茎形を奉納し祈願する俗習があり、「産むは生む」に通じて、恋愛、子宝、安産、縁結び、夫婦円満、商売繁昌、厄除開運、諸病の平癒の守護神として、全国の崇敬者から格別の崇敬を受け、また世界各国の人々から注目される神社です。(宮司 粟田孝浩様)
田縣神社ホームページより転載
絵馬の殆どは、「元気な赤ちゃんをさずかりますように・・」 まさに全国に轟くパワースポットのようですよ!
神社⛩の御朱印なるものを始めてもらった。お寺さんに比べてあっさりしていてビックリ‼️
神社は、ご本尊様もいないし真言とかもないので、こんなんで良いんだなぁ📿と無理やり納得!
詳しくは ☟
関連blog☟
青塚古墳は洪積段丘縁辺で標高31.5mに立地する全長123m、後円部径78m、高さ12m、前方部幅62m、高さ7mを測る前方後円墳であり、その規模は断夫山古墳に次いで県下第2位をほこる。
神社では御祭神大縣大神の御神体丹羽の縣の君の祖大荒内命の墳墓と伝えられており、長く地元の人々によって保存され、後円部3段前方部2段という優美な段状築成の姿をとどめている。
昭和54年(1979)に実施された確認調査により、墳丘周囲に北側で最大幅20m前後、南側で35m前後の周溝をもち、その外側に幅20m前後の外堤をめぐらしていることが明らかにされている。
この調査で、墳丘裾から円筒埴輪や底部穿孔の二重口縁壺が出土しており、本古墳築造年代を4世紀中葉と推定せしめる。青塚古墳周辺にはかつて18基の円墳があったといわれており、本古墳は尾張古墳文化の展開をみるうえで極めて重要な資料である。
犬山市教育委員会では、平成7年(1995)~平成10年(1998)にかけて史跡保存整備をはかるための発掘調査をすすめたところ各段の裾には基石列が配され、これにそって壺形埴輪が約2m間隔でめぐらされていることが判明した。
また前方部頂上に方形檀上遺構が存在した。調査と併行しながらこの結果をもとに古墳の整備復元及びガイダンス施設建設が進められ、平成12年(2000)に「青塚古墳史跡公園」が整備された。
ガイダンス施設は「まほらの館」と名付けられ、出土品や古墳の解説をパネルと映像で紹介し、考古学の学習ができる研修室を備えている。
文化財ナビ愛知ホームページより転載
久しぶりにコラージュをアップします。
青もみじ寺🍃🌿寂光院
2017.4.17(月) 秋の紅葉寺で有名な愛知/犬山・寂光院は「青もみじ寺」としても中日新聞などのマスコミに取り上げられ脚光を浴びているお寺です。
恒例の月命日、風雨の中、お参りにきました。今までの中で、こんな天候は初めてではないかなぁ、嵐のようだった・・
これが「青もみじ」です。要するに「新緑」
納経所にある鐘、ご朱印などお寺に用事があるときに叩く、なんか、お洒落ですね・・
納経所から青もみじ山を望む、ここ一週間で若葉が芽生えたそうです。
大好きな階段も青もみじでいっぱいでした。
今日の発見 その1)この碑は何だろうか?
今日の発見 その2)沢山の石仏があることに気が付いた。
不動明王さまを、今日は、しっかりと拝めました。
青もみじのなかで映える不動尊堂
今日は、ご本尊さまをはっきりと拝むことができました。
青もみじのクローズアップ、赤い部分が新芽だと納経所で聞いた。
4人乗りのケーブルカーがあります。いつかはお世話になるんだろうなぁ・・
☟犬山・寂光院ホームページ(花だより)にリンク