松平郷:徳川家のルーツを旅する*松平東照宮⛩、高月院、松平城跡🏯
2017.8.4(金) 最近、にわか徳川家康ファンなので、前々から行ってみたかった松平郷に行ってみました。ここは、神社⛩とお寺、城跡🏯が一度に巡れて、これら三つが好きな私は幸せなひとときを過ごすことが出来ました。
松平郷は、東海環状自動車道「豊田松平IC」から車だと15分位で行けます。
「豊田松平IC」は現役時代に何百回も利用しましたが、客先に行くには反対方向ということもあり、松平郷には行ったことがありませんでした。
リタイアして、お寺や神社、お城などに関心が出て来て、あっちこっち行って、blogにアップしています。仕事であっちこっち行ったお陰で、東海地方(愛知・岐阜・三重・静岡)の土地勘はあります。
ガソリン代が勿体ないと言われそうですが、唯一の道楽なので、お許しください。
松平東照宮(神社)
日光東照宮しか知らなかったけど、松平郷にもありました。
松平東照宮に現存する水濠や石垣は、松平太郎左衛門家九代尚栄によって関ヶ原の合戦のあと築かれました。はじめは、八幡宮と称して松平家の屋敷神でした。1619年に松平親氏を合紦しました。松平太郎左衛門家は、大正初期までこの地に居住しました。境内には、松平家が代々産湯に用いていたという産湯の井戸や、松平家に関する資料を紹介した松平郷館があります。
松平郷館
松平東照宮の中にあります。徳川家の貴重な財宝(ではないみたいです。)が展示されています。入場無料なので是非お立ち寄りください。
学芸員さんみたいなNPOの方がいろいろ説明してくださいました。ありがとうございました。
高月院(お寺)
元の名を「寂静寺」といい、見誉寛立上人が建立したといわれています。
1377年に親氏が本尊阿弥陀仏を寄進、堂・塔を建立してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となっています。境内には、松平家墓所があり、親氏、泰親、親忠夫人の墓が並んでいます。現在の山門や本堂は1614年に徳川家光の命により建立されたと伝えられています。
大拾(おぎゅう)城跡
大拾(おぎゅう)城跡は、大拾松平家の本城であり、規模は大きく構造は緻密を極めています。当初は土豪 長坂新左衛門の城でしたが、松平宗家3代 松平信光が岩津から兵を発して城を攻撃し、三男親忠に譲りました。親忠は細川城(岡崎市)と共に、次男乗元に与えたので、兼元は大拾へ分出し、大拾松平の祖となりました。
このblogの説明文は、豊田市商業観光課発行の「歴史と自然あふれる松平の里」から引用しました。