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まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

内々神社(うつつじんじゃ)

2017.4.13(木)   気温は、20℃近くまで上がり、過ごしやすい一日。陽気に誘われて内々神社(うつつじんじゃ と読む)に行ってみた。今後はお寺だけでなく神社⛩も巡っていこうと思う。

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創建年代については不詳であるが、延喜式に記載された式内社である。 東国の平定を終えた日本武尊が内津峠に差し掛かった時、早馬で駆けてきた従者の久米八腹(くめのやはら)から副将軍である建稲種命駿河の海で水死したとの報告を受けた。それを聞いた日本武尊は「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆き、その霊を祀ったのが内々神社の始まりという。ウィキペディアより転載)

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内々神社は、「延喜式神名帳」にも記載されている由緒ある神社です。日本武尊の伝説と深い関係があります。主祭神尾張氏の祖建稲種命(たけいなだねのみこと)であり、これに日本武尊、宮簀姫命(みやずひめのみこと)を配しています。

 昔から武将の尊崇が厚く、豊臣秀吉の朝鮮役にも戦勝を祈願して、この社頭から軍船用の帆柱を伐り出したといわれています。また、篠木荘33ヶ村の総鎮守でもありました。神社と密接な関係にある妙見寺は、室町時代初期に天台宗密蔵院開山慈妙上人によって開創されました。

 権現造りの社殿は、江戸末期・名工立川一族により造られ、廻遊式林泉型の庭園は、夢窓国師作といわれています。春日井市ホームページより転載)

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 妙見寺別当(べっとうじ)とは、専ら神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと。神前読経など神社の祭祀を仏式で行い、その主催者を別当(社僧の長のこと)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と称した。神宮寺(じんぐうじ)、神護寺(じんごじ)、宮寺(ぐうじ、みやでら)なども同義。ウィキペディアより転載)

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 別当とは、すなわち「別に当たる」であり、本来の意味は、「別に本職にあるものが他の職をも兼務する」という意味であり、「寺務を司る官職」である。
別当寺は、本地垂迹説により、神社の祭神が仏の権現であるとされた神仏習合の時代に、「神社はすなわち寺である」とされ、神社の境内に僧坊が置かれて渾然一体となっていた。神仏習合の時代から明治維新に至るまでは、神社で最も権力があったのは別当であり、宮司はその下に置かれた。
別当寺が置かれた背景には、戸籍制度が始まる以前の日本では、寺院の檀家帳が戸籍の役割を果たしたり、寺社領を保有し、通行手形を発行するなど寺院の権勢が今よりも強かったことがあげられる。一つの村に別当寺が置かれると、別当寺が、村内の他のいくつかの神社をも管理した。神仏にかかわらず、一つの宗教施設、信仰のよりどころとして一体のものとして保護したのである。
また、神道において、祭神は偶像ではない。神の拠代として、神器を奉ったり、自然の造形物を神に見立てて遥拝しているが、別当寺を置くことにより、神社の祭神を仏の権現(本地仏)とみなし、本地仏に手を合わせることで、神仏ともに崇拝することができた。
別当が置かれたからといって、その神社が仏式であったということではない。宮司は神式に則った祭祀を行い、別当本地仏に対して仏式に則った勤行を行っていた。信徒は、神式での祭祀を行う一方で、仏式での勤行も行った。神仏習合の時代には普通に見られた形態である。
明治時代の神仏分離令により、神道仏教は別個の物となり、両者が渾然とした別当寺はなくなっていった。ウィキペディアより転載)