まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

🗾衝撃の日本史①🗾 古代(縄文・弥生時代)には、日高見国(ひだかみのくに)があった!!🌅🌄

 奈良のパワースポット 石上(いそのかみ)神宮のブログを書いていて、不思議に思ったことがありました。

 記紀古事記日本書紀)は、国生み物語はあるもの、実質、神武東征から始まっています。神武東征、すなわち、紀元前 660年より前の日本の状態はどんなだったのだろうか?

神武天皇の即位(紀元前660年)以前は、アマテラスを初め、多くの神々は高天原(天の上)に住むと神話で表現されています。

 したがって、神武以前の縄文時代は、人々は文明とは程遠い生活をしており、竪穴住居に住み、動物を追いかけたり、魚を捕まえたり、貝を拾ったりして暮らしていたという原始的なイメージを植え付けられています。

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 YouTubeをみていたら、田中 英道先生の記事を発見👩‍🏫、目からウロコ🤩😳

 先日、ブラタモリで「鹿島神宮」を取り上げていました。なかなか1回見ただけでは「番組が何を言いたいのか?」分かりませんでしたが、奈良・春日大社の鹿は、「鹿島神宮の鹿がルーツ」というのが妙に心に引っかかっていました。

 田中 英道先生は、1942年2月20日生まれで東北大学宮城県仙台市)で約50年間教鞭をとった美術史家です。

現在は、日本国史学会代表を務め、日本国史を研究、講演活動を通じて正しい歴史を発信しています。

 なるほどと思ったことがあります。古代(縄文・弥生)は、文字が無かったので記録がない、したがって前に書いたように「原始的な生活を送っていたに違いない」と決めつけていた。

田中 英道先生のご専門の「美術史」は、文字のない世界、美術のちょっとした違いを見極めて、例えば絵画が伝えたいことを読み解く、超難解な分野だそうです。

先生はこれを約50年間続けてこられ、東北大学を定年退官後、古代(縄文・弥生)の土器や絵などから、文字はないけど「かたち」を読み込んできたそうです。

 それによると、縄文時代は東国に太陽を絶対神とした国・・日本(ひのもと)が存在した。

太陽が最も早く出るのは、東国にあっては、常陸(茨城)、下総(千葉)(ブラタモリでは「ちばらぎ」と紹介)、西国にあっては、三重県伊勢です。

 早くから東国は鉄が産出し、鉄製武器を使っていました。

一方、西国は鉄があまりとれず銅が中心、鉄製武器と銅製武器では勝負になりません。

下の図は、東征のルートを示しています。

東征以前、東国武士が大陸からの侵攻により九州が危ないとのことで、鹿児島に船で行ったルート、畿内に侵攻するために伊勢にも船で向かいました。(赤い線)

この出発地が、鹿島神宮香取神宮だったそうです。

縄文時代の神社は国家神道の拠点であり、有事の際の軍事拠点でもあった。)

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www.youtube.com

日高見国の登場

「東夷の中、日高見国有り。其の国人、男女並に椎結(かみをあげ)、身を文(もどろ)けて、人となり勇悍(いさみたけ)し。是をすべて蝦夷と曰(い)う。亦(また)土地(くに)沃壌(こ)えて曠(ひろ)し。撃ちて取るべし」
(「日本書紀景行天皇二十七年二月紀内宿穪奏言)

 そうなると「日高見国」はどこにあったのか?という邪馬台国論争みたいになりがちですが、それは次回以降に続くとして、縄文時代に偉大な文明が存在したことを確信している今日この頃です。

時 代 区 分

    王朝国家10世紀初頭 – 12世紀後期
  平氏政権 1167年 – 1185年

      南北朝時代 1336年 – 1392年
      戦国時代 1467年(1493年)– 1590年

       鎖国 1639年 – 1854年
      幕末 1853年 – 1868年

  • 明治時代 1868年 – 1912年
  • 大正時代 1912年 – 1926年
  • 昭和時代 1926年 – 1989年

     GHQ占領下 1945年 – 1952年

  • 平成時代 1989年 – 2019年
  • 令和時代 2019年 –

続 く