石上神宮(いそのかみじんぐう)⛩奈良のパワースポット⛩が凄かったです。
神秘がにじむ奈良のパワースポット「石上(いそのかみ)神宮」に行ってきました。
場所は奈良県天理市、有名な天理教本部があります。天理教は江戸時代末に発足した新宗教の一つです。
さて、古代においては、天皇が変わるたびに都(住まい)を移していましたが、代表的なものは、
- 飛鳥時代・・飛鳥近辺、難波、近江(大津)に都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)にかけての118年間。広義には下記の藤原京も飛鳥時代に含まれます。
- 藤原京・・持統天皇(694年)飛鳥の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあったとされる。
- 平城京・・元明天皇(710年)
- 長岡京・・桓武天皇(784年)・・わずか10年で平安京に遷都
- 平安京・・桓武天皇(794年)
山辺の道・・平城京~藤原京~飛鳥京を結ぶ古代の主要道。石上神宮はちょうど 山辺の道の真ん中にあります。
(図解 古事記・日本書紀(普及版) 発行者:西東社 Kindle版より転載)
山辺の道から石上神社に向かう道(左)、のどかな民家や石仏(右)
① 石上神宮は神剣や神宝に宿る魂を祭る不思議な神社
石上神宮は、日本最古の神社の一つで、部門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
② 魂を活性化させる秘術が伝わる
③ 眷属(けんぞく・・神の使い)の鶏がたくさんいる
④ 神話に語り継がれる神剣が本当に出土した
古事記に神剣の記述がありました。
(とんでもなく面白い「古事記」 発行者:清水卓智 電子書籍より転載)
布都御魂(ふつのみたま)・・高倉下(たかくらじ)が伊波礼毘古(いわれびこ・・後の神武天皇)に献上した太刀が祭神としてまつられたが、鹿島神宮にも布都御魂(ふつのみたま)が伝わっているそうです。
(図解 古事記・日本書紀(普及版) 発行者:西東社 Kindle版より転載)
⑤ 御朱印がとてもカッコいい
剣を描いた特別ご朱印があるみたいですが、普通のご朱印をゲット。
⑥ 国宝がたくさんある
石神神宮の神庫(ほくら)に伝世した古代の遺品で、社伝では「六叉鉾(ろくさのほこ)」 と称されてきましたが、現在では刀身に記された銘文により「七支刀」と称しています。
特異な形をした鉄製の剣で、全面が鉄銹(てつさび)に覆われており、伝世以来当神宮の御神体同様のものとして奉斎されてきました。製作年については、現在の銘文解釈によると西暦369年と考えられています。
また、この七支刀は『日本書紀』の神功皇后摂政52年に百済から献上されたとみえる「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられています。
●祖神のすり替えと神話作り
鎌足の子に「藤原不比等」という政治の大天才がいた。後の1000年にも渡る藤原氏の栄華と繁栄の基礎は彼が築いたといっても過言ではない。
娘を入内させることによって政治の実権を握る、藤原氏お得意の外戚政治を行ったのも彼が最初である。
また不比等は「古事記」「日本書紀」編纂にも、かなり影響力を与えていると言われている。
不比等は記紀編纂にあたって、万世一系の天皇家の権威の確立と皇室を補佐する藤原氏の正統性を揺るぎなきものにするため、多くの氏族から伝承を集め、各氏族の領地の安堵との交換条件で、氏族伝承を買い取ったとも言われている。
日本書紀においては、伊勢の神宮と石上神宮のみが「神宮」と記載されていた。
その後、平安時代に成立した延喜式においては、石上神宮に代わり鹿島神宮と香取神宮が「神宮」と記載され、江戸時代まで「神宮」を社号とする神社は、この3社のみであった。
本来物部氏が持っていた宮中の祭祀権も中臣氏によって独占され(中臣神道の成立)、石上神宮の神宮の名称が剥奪されたうえに、新たに中臣氏(藤原氏)の一族神として武甕槌・経津主二神が鹿島神宮、香取神宮に祭られたのではないだろうか。