まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

令和元年 ご朱印始め、そしてお守りを更新しました

 10連休のGWが終わり、現役世代は令和元年 仕事始めですね。私は現役時代、長期連休の後、一週間くらいは調子、出なかったなぁ・・ お疲れ様です。

リタイアした今は、ずーっと休み(*_*)  ボーっと生きる訳にいかないので、用事を作ってでも外に出ないといけないと思っています。

 なので、やっと、令和元年のご朱印をもらいに行きました。有名神社・仏閣は〇〇時間待ちとかテレビで報道され、とてもその中に入り込む根性はなかったので、今になってしまいました。

 結局、超近場の猿投(さなげ)神社にしました。

☟左側:平成29年10月9日

                     ☟右側:令和元年5月6日f:id:wa14007:20190507131441j:image

       「改元記念」の金文字入りです。

  ご朱印帳に「左鎌」と記載されていますが、猿投(さなげ)神社は左利きの人が使う鎌を祀る全国でも珍しい神社です。ご神体・猿投(さなげ)山の麓に鎮座しています。f:id:wa14007:20190507132451j:image

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 猿投神社のご由緒

  猿投神社は豊田市の北端にそびえる三河の名峰猿投投山の麓に鎮座する古社です。創祀は社伝によれば仲哀天皇元年勅願により現在の地に祀るとあります。
  猿投山の東峯に東宮、西峯に西宮を祀り、本社、東宮、西宮を総称して古くより猿投三社大明神と厚く崇敬されてきています。
神階は文徳天皇仁寿元年(851年)に従五位下陽成天皇元慶元年(877年)に従四位下に叙位しています。以後記録は絶え、昇叙について明確な事は判らないが、社蔵神号額(嘉元2年=1304年)には「正一位猿投大明神」とあり、三河国国内神名帳にも「正一位猿投大明神」とあるので、正一位に昇叙したことが判ります。
  社格は延喜の制(967年)では国幣の小社(三河国26座、賀茂郡7座)で、一官制か施行されるや、砥鹿神社、知立神社についで三河三宮と称された。

  明治の新制度では、明治五年県社に列し、広沢天神社(延喜式内社)塞神社、小猿投社を合祀しました。昭和になり、広沢天神社は再び広沢の地で祀られるようになりました。
  明治中頃より国幣小社昇格を建議し、後年内定したが、大東亜戦争の終息によりその目的は達せられませんでした。
  神領は、織田・豊臣二氏の先規により徳川家康公が高776石(神社では三河国一位)の朱印を付し、明治維新まで続きました。此の外の武将も多くの神領を寄進したことが社蔵の寄進状によって知ることができます。

www.jinja-net.jp

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 令和元年のご朱印始めは、CAAC(中部大学)中国語サークル 中国研修のお土産にいただいた御朱印帳を使うことにしました。(下記の右側、黄色い表紙)f:id:wa14007:20190507131449j:image

  このご朱印帳は最初のページに中国・長安青龍寺」のご朱印があります。これって凄いものです。CAAC(中部大学)中国語サークル の皆様に改めて感謝です。f:id:wa14007:20190507131518j:image

 

 なので、このまま四国八十八ヶ所お遍路の納経帳にするのが素直な選択なのですが、四国八十八ヶ所 納経帳は一冊あれば充分なのです。f:id:wa14007:20190507132005j:image

 二回目以降はハンコのみが押されます。従って、ご朱印帳は一冊で間に合うのです。

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車のお守りを更新しました。

 もう十年近くなるでしょう!!

憧れの金毘羅山に詣でました。その時求めた「交通安全お守り」を大事に車に付けていました。長い間、お陰様で「無事故・無違反(ではない(*_*))」で過ごすことができました。

猿投(さなげ)神社の「左鎌安全お守り」に変更します。f:id:wa14007:20190507131536j:image

 

 

wa14007.hatenablog.com

 

 

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