太清寺(たいせいじ)家康公 羽休めの地(愛知県春日井市勝川町)に行ってきました。
2017.10.26(木) 今日の中日新聞・朝刊、近郊版に太清寺(たいせいじ)の記事が大きく出ていました。太清寺(たいせいじ)は初めて聞きました。
興味がわいたのは、小牧・長久手の戦い(1584年)で、小牧山から本拠地・三河に近い長久手に向かう徳川家康が途中休憩したと伝わるお寺だということ。
「おんな城主 直虎」のお陰で、家康に凄く関心が出てきて、小牧城とか、長久手古戦場とかに行きました。小牧城から長久手に移動の際、マイ地元を通ったという記録を見付けていましたが、住宅地で跡形もなくなっており、探検をあきらめていました。
そんな訳で、早速行ってきました。
場所は下☟のような感じです。R19沿い、新地蔵川近くでした。(新地蔵川は、庄内川に流れ込んでいます。)
今月28日に開かれるJR東海の散策イベント「さわやかウォーキング」で、太清寺が立ち寄りスポットになったのを機に、家康ゆかりの地であることを示した看板を設置することにしたので新聞で紹介されたのです。
散策マップは以下の通りです。(JR東海の散策イベント「さわやかウォーキング」よりダウンロード・転載)
大きな駐車場には下☟のような大きな看板がありました。家康公、三大危機から転機の地、「勝川」、三大危機とは、
「小牧・長久手の戦い」は、家康 vs 秀吉の戦いで家康が勝利しました。勝川は、その後の関ヶ原の戦いにつながる転機の地なんですが、あまり知られていないとのこと。確かに!全然知りませんでした。
太清寺(たいせいじ)入口、しっとりと落ち着いた感じのお寺でした。
もう一つの門に、家康ゆかりの地であることを示した看板が設置されていました。
家康は出陣前に太清寺を焼き払い、本尊の阿弥陀仏(あみだぶつ)は灰となった。焼き払いは退路を断つ覚悟を示したとの説や、のろしを上げるためだったとの説などがあるそうです。
その後、本尊は尾張藩の旗本だった岐阜県可児市の久々利千村(くぐりちむら)氏が寺の焼け跡から見つけた余木を使って作り、今も太清寺の十王堂にまつられています。
薬師堂:ご真言 「おんころころ せんだり まとうぎ そわか」
台風前とは思えない素晴らしい青空です。
大変立派なお寺の割には全くの無人状態で、ご朱印はいただけませんでした。
リ ン ク