尾張国の古地図を見に猿投(さなげ)神社に行ってみた⛩⛩猿投神社は鳥居が黄色、これは中国の「五行説」に基づいているとか・・
2017.10.9(月・祝日体育の日) 津島湊を調べているうち、ネットで見つけた古地図🗾🗺、養老元年( 西暦 717 年 )と書いてある。奈良後期(天平)ころで、今から 1300 年前、濃尾平野は海だった??
まさか!って感じ。津島とか中島郡など地名に「島」がついているので、昔は「島」だったに違いないけど・・
こういう写真もあった。そして、これは猿投神社(豊田市)にあるとの事なので早速見に行くことにした。
引用元を示します。
さらにこんな地図もあった。宝暦12年(西暦 1761 年)なので江戸後期だ。この地図の方が現実味があります。それにしても、江戸時代の尾張の国は、運河が多い国だったですねぇ・・・
猿 投 神 社
写真の古地図は神社を探してもない。納経所の巫女(みこ)さんに聞いたら、「盗難とかにあったため、今は非公開になっています。」とのこと。
なんか怪しい説明だな!明日ゼミで先生に聞いてみよう!
猿投神社の前は現役時代、何百回通ったことだろう・・興味が無かったことのあるし基本・仕事 only だったので、今回初めて猿投神社に行ってみた。
猿投神社は鳥居が黄色、これは中国の「五行説」に基づいているとか・・大学で東洋医学を学び、少し分かる気がします。(本日も猿投山への登山者が多かったです。)
大きい絵馬! そして「鎌」の形をした絵馬は初めて見た。かつて、この地は「鉄」の産地だったらしい、棒の先に鉄製の「鎌」を付けて武器にした(棒の手)。
懐かしい会社の名前・部署が書かれた絵馬、なんか嬉しかった・・・
杉の木ってすごいねぇ・・
七五三のシーズンですねぇ・・・
ご朱印と由緒記