愛知県津島市に関わること、津島は海の近くだと思っていた (*ノωノ)(〃ノωノ)
2017.10.2(月) 雨の一日、15:00 の気温、22℃、極めて過ごしやすい一日。
明日のゼミ発表に備えて一日中勉強しています。昔ならば「捩じり鉢巻き」で図書館にこもり・・って感じだろうけど、最近は有難い。
パワポ(PowerPoint)を使い、ネットで調べた項目をメモ感覚で時々リハーサルしながら入力していく。今はこれが当たり前のことだが、考えてみたら随分効率アップになった。ウィキペディア(wikipedia)は、現代版百科事典、「間違っているかもしれませんが・・」という前提ですが、多くのボランティアに支えられて百科事典が成立しています。
プレゼン(presentation)が一般的になったのは、最近のこと。
同じような目的の、マニフェスト(manifesto)が流行ったけど、誰かさんのお陰でこちらは、風前の灯 (^^♪ こちらは、不特定多数を相手にする「顔の見えないプレゼン」なので難しいと言えば難しい・・
反面、プレゼンはますます定着していっているように思う。
さて、今日のblogは、愛知県津島市に関わること、実は、愛知県に半世紀近く住み続けているにも関わらず、津島には今年5月に初めて行きました。隣村ともいえる甚目寺町(現・あま市)に住んでいたにもかかわらずです。
今日の勉強テーマ(パワポ・デザインは、秋らしいものをDLした)
何故そう思ったのか?
愛知県津島市は、いつ頃までかは(良く分からないまま)海の近くだと思っていた・・
何故かと言うと、確か織田信長の本とか読んで、「信長は、津島の港で富を得た」という部分が妙に心に残っております。なので、名古屋港は津島の辺りまであり、埋め立てて、今日の地形になっていると思っていました。
でも、さすが! 「地域・アカデミックゼミ」
1回目に早くも地域の誤解を解いてくれました。
今日の勉強成果です。
愛知県津島は中世までは、木曽川の支流である天王川の川港として栄えたが、江戸期以降は土砂堆積が進んだため、湊としての機能が果たせなくなった。
その理由)港湾が生まれても、上流から運ばれてくる土砂の堆積のために、港としての機能が維持できなくなった。自然環境の影響を受けやすいという点で、港はほかの交通インフラとは幾分、異なる性質を持っている。
左側を拡大☟
この前行った「天王川公園」の北側に湊があったのだなぁ・・・
出典はこちら。(左側:「都市と港湾の地理学」林 上(ハヤシ ノボル)著)