まほろば

神社仏閣巡り、季節の花、食べ歩きなど、日々の暮らしをゆる〜く綴ります。最近、古墳・お城・城跡にも関心があります。

小牧・長久手の戦い 家康本陣跡:色金山(いろがねやま)に行ってみた。

2017.7.21(金)1584年4月、秀吉軍、以下西軍という(十数万)、徳川・織田連合軍、以下東軍という(八万)に膨れ上がった両軍は、小牧城を囲んで睨み合いを続けていた。

何とか家康を小牧城の外に誘(おび)き出すため、池田信輝(大垣城主)は、秀吉に家康の本領である三河に進入することを勧めた。再三の進言に遂に秀吉はこれを許可、池田信輝、森長可を千峰とし、兵二万余を率いて春日井市南部一帯に宿営した。

もともと、この宿営地は、かつて信長の御台所(直轄地)、住民を大事にしたところと云われ、旧恩を感じる農民が、このことを小牧山に密告した。家康は、ただちに追撃隊を編成し、自らも小幡城(名古屋市守山区)に入った。

そして、長久手で決戦が行われ、池田信輝、森長可(二人とも戦死)の西軍は敗北した。

24歳になった伊井直正はこの戦いで武功をあげ、六万石に加増されました。(育ての親、直虎は3年前に亡くなっています。)

色金山公園・駐車場から少し上がると、いきなり、優雅な茶室が現れます。

これは、国宝「如庵(じょあん)」(犬山市)を手本にした茶室です。如庵をつくった織田有楽は、織田信長の弟であり、長久手合戦の際に豊臣秀吉織田信雄(のぶかつ、信長の子)の間に立って和睦を図った人物です。

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行ったところは、☆印の2ヶ所。色金山歴史公園と長久手古戦場首塚

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なだらかな階段の道が続きます。途中に観音様が・・西国三十三観音かな?・・

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真夏だというのにキノコがいっぱい・・青もみじも綺麗だった。秋になったらまた来なくては・・

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家康は、この山上に金扇の馬標(うまじるし)を立て四方を望見して軍議をめぐらしました。今の残る山頂の巨石は、その時家康が腰掛けたという逸話にちなみ、床机石(しょうぎいし)と呼ばれ、崇(あが)められ親しまれてきました。

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 天正12年(1584年)4月9日、長久手合戦の舞台となった長久手の村々は、野と云わず山といわず戦死者の山となりました。

この惨状を目のあたりにし、心を痛めた岩作村安昌寺の雲山和尚は、村人たちと共に屍を集めて埋葬し塚を築いて供養しました。

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 毎年、合戦の日には首塚香華が手向けられ、村人たちによって法要が営まれていますが、法要には遠く名古屋から、尾張藩氏らの参加もありました。f:id:wa14007:20170721121316j:image

 

 

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