知多四国八十八ヶ所巡礼②/本四国に負けないくらいの素敵なお寺がいっぱいでした。
発 心 編
ちょうど三年前、🔰マークを付けて巡礼した知多四国八十八ヶ所に、ある方のお誘いもあり、もう一度、行ってきました。お誘いが無ければ、知多四国は大変つらい思い出の地なので、もう行くことはなかったので良かったです。
折角なので、二周したいと思います。
🔰マークの時は、ブログ①に書きましたが、巡礼のことなど何も知らず、ただのスタンプラリーに近いものでした。
今迄、般若心経を、500回以上、お唱えしたと思います。先達さんのリードになかなか付いていけなかったのですが、その理由が分かりました。フリガナを読んでいたからです。少し漢字が読めるようになったので、最近は付いていけてると思う。
犬山・寂光院で感じたのですが、お寺は何回行っても、その都度、見えるものが違います。日々の精進というか、研鑽の結果でそうありたいものです。
知多四国で何が見えるか、その景色が楽しみです。
この地図 ⬆️ と巡拝入門のイラスト⬇️は、「知多四国88ヶ所巡り 完全ガイド 眞野由季江 著、海越出版社」から転載しました。
巡 礼 編
2017.2.5(日) 天気予報が的中、雨☔️ そして立春というのに、もの凄く寒い❄️😨 めげずに、8:00 am さあ、出発です。
今日は、大府・東浦・阿久比・半田のお寺を回ります。
今回凄く印象的だった第一は、「三密」ということ。説明が本堂に書いてありました。大辞林 第三版 解説の転載です。
うーん🙄むずかしいなぁ… クリック☟
同志社大学の小原克博先生の講義がYouTubeで配信されており、三密は真言宗の基本と言ってました。お線香を三本あげますが、これは三密を表しているのだそうです。
印象的その二は、ローソクの明かり🕯(灯明)に癒されたことです。今日は一日中どんよりとしたお天気で、氷雨混じりのさむ〜い一日だったので、ユラユラ灯るローソクの明かりは灯台のようでした。
灯明は闇を明るくするので智慧に例えられ、涅槃の異名みたいです。(ブリタニカ国際大百科事典より)
19番 光照院の灯明です。光照院は半田の市街地にあるお寺で、中埜酢店(ミツカン)の本社や博物館の近くでした。
さて、本日は、6番 常福寺を皮切りに、10番 観音寺から20番 龍台院、途中に54番 海潮院、番外 年弘法東光寺、番外 奥の院海蔵寺の合計15ヶ寺を巡ることができました。
大師堂をお参りしていたら一眼レフで撮影している若い女性に出くわしました。「取材の人ですか?」と聞いたら、何でもこの常福寺は、壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門・平景清のゆかりのお寺で奈良から来たとのことでした。平家の落人伝説は日本全国にあるので、こうやって全国をまわっているのだろうなぁ・・
文字が薄くなりよく読めないけど、それらしいことが書いてありました。
大師堂から本堂を望む。こじんまりとした素敵なお寺でした。
こんな仏様もいらっしゃいます。西国33観音様かな?
二周目のご朱印です。日付を入れていただきました。
知ったかぶりで、この安徳寺は高倉天皇と建礼門院徳子の子で、平清盛の孫にあたる安徳天皇ゆかりのお寺と思い、納経所で尋ねてみたら全く関係ないとの答えでした。(数え年8歳という歴代最年少の天皇として安徳帝は崩御した。 )
立派な木があります。
本堂
二周目のご朱印です。
本堂
大師堂
二周目のご朱印です。
本堂
2014年の最初の巡礼の時はまったく目に留まらなかった観音様が今回は巡礼の中心になっています。観音様の慈悲深いお姿に心が癒されます。
家康の生母・於大の方ゆかりのお寺です。
家康の生母、於大の方は、14歳で岡崎城主 松平広忠と政略結婚。翌年、竹千代(後の家康)を出産したが、兄信元が織田方についたため離別させられる。のち、20歳のとき阿久比城主 久松俊勝再婚。岡崎城に入るまでの14年間を阿久比で過ごした。
「知多四国88ヶ所巡り 完全ガイド 眞野由季江 著、海越出版社」から転載
梅がちらほら、何とウグイスが止まっていましたが、カメラを向けたら逃げて行った、残念!
二周目のご朱印です。
観音寺に向かう道すがら、軒先の柊(ひいらぎ)の花発見!
こじんまりとした尼寺でした。
二周目のご朱印です。
立派な山門です。
本堂
大師堂
裏口?(駐車場はこちらにあった)渡り廊下がある・・
次の20番 龍台院はすぐ近くです。ここで本日の打ち止めです。がんばろう!
二周目のご朱印です。
南天の花?
二周目のご朱印です。
「54番の札所がどうしてここに?」と思っていましたが、もともとこの札所は、野間の竜松院にあったが、維新で廃院になった。大師像が各地を転々とした挙句、この地に落ち着いたのだそうです。「知多四国88ヶ所巡り 完全ガイド 眞野由季江 著、海越出版社」から引用
弘法堂(知多では、大師堂でなく、こういうのですね!)の前に”杖”が置いてあるそうです。盲目だった人が参拝後、突然見えるようになったお礼として置いていったものだそうです。「知多四国88ヶ所巡り 完全ガイド 眞野由季江 著、海越出版社」から引用
ガイドブックを事前にしっかり読んでいかないと大事なことに気づかせてもらえず勿体ないですね!
二周目のご朱印です。
珍しい形をした、これも山門というのかな・・
左側は大師堂
大師堂(弘法堂)の中にはお大師様が大勢いらっしゃいました。大師像の数は62体で、これは「年弘法」といって、弘法大師誕生から入定までの62年間の姿を一年一体で表したものだそうです。なるほど、もう一度行ったら一体一体じっくり観察させていただきます。「知多四国88ヶ所巡り 完全ガイド 眞野由季江 著、海越出版社」から引用
後ろを振り返ると天井にお大師様?四国八十八か所のご本尊様かな??
鐘楼(今回は15ヶ寺のどこのお寺でも鐘は突きませんでした。)
本堂
納経所はこちらにありました。
二周目のご朱印です。
今日のまとめ
一日中、雨☔️☂️で気温が上がらず、寒すぎて、般若心経はお唱えしなかった。
ローソク、お線香はすべてのお寺であげることができた。また本堂ではご真言、大師堂では「南無大師遍照金剛」と唱えることができた。
何処か忘れてしまいましたが、大師堂に「ご自由にどうぞ」と置いてあったのをいただいてきました。こういう心遣いが嬉しい😃小物入れかな?
今日の歩数
15 ヶ寺も回ったのに一万歩いかず!
いずれのお寺も駐車場が横付け状態で、こじんまりとしていたので、さほど歩く必要がなかったのです。
22番 御嶽山 大日寺(西山浄土宗) 知多郡武豊町字ヱケ屋敷
23番 意竜山 蓮花院(西山浄土宗) 知多郡武豊町字ヒジリ田
28番 浄光山 永寿寺(西山浄土宗) 知多郡美浜町大字豊丘西側
29番 大悲山 正法寺(天台宗) 知多郡南知多町大字豊丘本郷
33番 宝珠山 北室院(真言宗) 知多郡南知多町大井
聖崎上陸大師の納経は北室院で受けられる
34番 宝珠山 性慶院(真言宗) 知多郡南知多町大井
31番?34番は医王寺の塔頭。30番?34番は、通称 大井五ヶ寺。
41番 松原山 西方寺(西山浄土宗) 知多郡南知多町大字山海
43番 大悲山 岩屋寺(尾張高野山宗) 知多郡南知多町大字山海
51番 鶴林山 野間大坊(真言宗) 知多郡美浜町大字野間
50番、51番は同じ敷地にある。
53番 鶴林山 安養院(真言宗) 知多郡美浜町大字野間
52番、53番は大御堂寺の一山である。
77番 雨宝山 浄蓮寺(真言宗) 知多市佐布里
73番、74番、75番、77番は如意寺の坊。73番?77番は、通称「佐布里五ヶ寺」。
78番 宝泉山 福生寺(真言宗) 知多市新知宝泉坊(現、新知東町一丁目)
結願 八事山 興正寺(真言宗) 名古屋市昭和区八事本町
興正寺は高野山金剛峯寺に相当する寺院として巡礼する。
日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院で、釈尊(お釈迦さま)のご真骨をタイ国(当時シャム国)より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に1904年(明治37年)に建立された。釈尊を表す「覺王」を山号とし、日本とシャム(暹羅)国の友好を象徴して覺王山 日暹寺にっせんじとして創建された。その後、昭和14年(1939年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて、昭和17年(1942年)日泰寺に改名された。
よって、運営に当っては現在19宗派の管長が輪番制により3年交代で住職をつとめ、各宗の代表が役員として日常の寺務に携わっている。
年中行事としては3月15日の涅槃会。4月8日の降誕会(花まつり)、5月のウエサカ祭、6月15日の奉安記念法要、11月15日の奉遷記念法要、12月8日の成道会、春秋彼岸会法要、等々。特に毎月21日弘法大師の縁日は境内一円に露店が出店され終日にぎわい、名古屋市民の信仰と憩いの場所となっている。(覚王山日泰寺のホームページより転載)
開山所 天竜山 誓海寺禅林堂(曹洞宗) 知多郡美浜町古布善切
番外霊場 岩屋山 奥之院(尾張高野山宗) 知多郡南知多町大字山海