ユネスコ無形文化遺産 亀崎潮干祭の山車行事 亀崎潮干祭(海浜曳き下ろし)に行ってきた
ゼミ巡検の一環で、ユネスコ無形文化遺産 亀崎潮干祭の山車行事 亀崎潮干祭(海浜曳き下ろし)に行ってきました。
新聞記事によると、潮干祭は、神倭磐余彦命(カミヤマトイワレヒコノミコト)=神武天皇を祭神とする神前神社の祭礼です。
祭礼の名は、神武天皇が海からこの地に上陸したとの伝説にちなみ、五輌の山車(東組宮本車、石橋組青龍車、中切組力神車、田中組神楽車、西組花王車)を潮干の浜に曳き下ろしたことに由来しています。
勇壮・華麗な五輌の山車は、浜から曳き上げられた後、神社から神輿(みこし)の渡御に供奉して、御旅所である尾張三社まで、巡行します。
津島・熱田・真清田の三神が鎮座
そのむかし亀崎の海岸へ流れ着いた、とある御神符(神社などが発行するお札)。それは津島神社のものでした。けがしてはならない、と海に戻したものの2日後に再び漂着。文政6年(1823)6月、このなんとも不思議な出来事により、亀崎の里人はその地を埋め立てひとつの小さな社を営みました。そして75日間の昼夜、お神楽を奉納。それがこの神社の起源とされています。
そののち熱田神宮と真清田神社の御符をむかえて各小社を並べて祀り、現在のかたちに。今の社殿は慶応元年(1865)に建てられました。
「津島神社の素戔嗚尊(すさのおのみこと)」「熱田神宮の日本武尊(やまとたけるのみこと)」「真清田神社の天火明命(あめのほあかりのみこと)」。この三神を祭神とする尾張三社は、潮干祭における「御旅所(おたびしょ)」となっています。すなわち祭礼のとき、本社を出た神輿が仮にとどまるところ。人形技芸(からくり人形の舞)の奉納もあり5台の山車が比較的ゆったりと見られます。
祭礼の伝統や風格は強固な「組」組織によって守られ、300年もの長きにわたり受け継がれています。
山車は名工の手による精微な彫刻、豪華な幕類、螺鈿(らでん)や推朱(ついしゅ)・七宝焼きなどで飾られ、精巧なからくり人形の技芸も奉納されます。
潮干祭の最大の見どころは「海浜曳き下ろし」です。山車が一気に海浜へと駆け下り、波打ち際で方向を変え、ゴマと呼ばれる車輪を波に洗われながら進むさまは、まさに「勇壮」の一言に尽きます。
中日新聞 「近郊版」 2018.4.28
亀崎は衣浦大橋のすぐ南、江戸時代は何と犬山藩の領地だったそうです。