高蔵寺(春日井市)
2017.4.27 (木) 今日のblogの「高蔵寺」は駅の紹介ではなく、お寺さんの紹介です。
五社大明神社と高蔵寺は家の近くの「神仏」です。
高蔵寺に長年住んでいますが、リタイアして初めて高蔵寺を身近なものとして感じることができました。(つまり、今まで、ちゃんとして行ったことが無かったのです。四国だ、西国だと騒ぐのも悪くはないですが、今年は「Discover Kozoji & Jimoto」です。)
春日井市東部にある高座山の南麓に位置する天台宗の寺院。山号は「燈明山」(とうみょうざん)。寺伝によれば、平安時代中期の933年(承平3年)、比叡山の僧智蔵によって創建されたといい、最盛期には一山に十二坊があった。
山門から本堂を望む、お地蔵さまがいらっしゃいます。
ご本尊、薬師如来がいらっしゃる薬師堂、お寺の東側に建っています。
ご本尊、木造 薬師如来坐像 (平安時代作)は、残念ながら秘仏です。
こちらが本堂(多分)
ご本尊が薬師如来なので、薬師堂が本堂かもしれない・・まだ勉強中の身なので区別がつきません、すみません!
毘沙門天を祀る社もあります。
毘沙門天は、四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。
庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格である財福の神という面が強まり、また9世紀頃からは正月の追儺において、疫病を祓う役どころがかつての方相氏から毘沙門天と竜天のコンビに変わっていったことから無病息災の神という一面が加わる。
平安時代末期にはエビスの本地仏ともされ、日本では毘沙門天は甲冑をつけた姿が主流となるがこの姿はエビス神の古い形態でもあり、このことは市場で祀られたことと関係がある。
こうして福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒にならぶ人気を誇るようになる。室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。
毎年1月7日 高蔵福徳神10か寺巡りの1つに入っています。今年参加したblogを良かったらクリックしてください。☟
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天台宗のお寺なのに、最澄ではなく、空海(弘法大師) がいらっしゃる。
眼下にお寺の山門と高蔵寺駅が見えます。